hachiroetoのものぐさ遊読帖

自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【2605冊目】河合隼雄『「老いる」とはどういうことか』


見開きごとに1つの記事で自在に綴る、「老い」にまつわるエッセイ集です。


新聞連載がベースになっているらしく、それぞれ独立した内容ですが、それがかえって良い方向に作用しています。読む人にとっての「ひっかかり」がいろいろあるので、老人本人、家族、支援者など、それぞれの立場ごとに、いろんなヒントが得られるものと思います(ちなみに今では「高齢者」という言葉が一般的ですが、本書では「老人」となっていますので、ここではそちらに揃えます)。


例えば、これは「私にとって」印象に残ったくだりですが、「老いることは『いい年』を生きることなのである」(p.45)というフレーズが出てきます。


この「いい年」というのは、「いい年をしてダンスなんてやめなさいよ」とか「いい年をしてそんな派手な服を着て・・・」とかいうときの「いい年」のことを指しています。


こういう言葉を著者は「慣用的殺し文句」と言っています。こういう言葉が老人を「一般的な老人」の枠に押し込めているのです。だからこそ、著者はこの言葉を逆手にとって(例えば「私、いい年だからダンス始めたのよ」とか)、いろいろやってみることを勧めます。それが「いい年を生きる」ということなのです。


このくだりに限らず、本書のいろんなところで見られるのは、こうした「ふつうの老人」「一般的な老人」というイメージに縛られるな、ということです。


それぞれの個性やそれまでの人生によって、さまざまな老人のかたちがあってよいはずだし、接し方、ケアの仕方ももっと多様であってよいはずです。「あとがき」でも「なんと言っても、人間はひとりひとり違うところがおもしろいのに、誰に対しても同じ「対策」を立てられてはたまらない」(p.278)とも書かれています。


本書は介護保険制度以前に書かれたものですが、今読んでもこの指摘はとても大事なところを突いているように思います。


介護やケアと言うことで、もうひとつ気になったくだりを紹介します。


ホスピスのベッドに寝ているある患者さんは、看護師が部屋に入ってきても、それが「心も一緒に入ってきているか、心が部屋の外にいるまま」なのかがわかるのだそうです。心が一緒に入ってくる看護師さんだと、ほんとうに傍らにいてくれていると感じるのです。


もちろん、外形的なふるまいだけでこういうことが分かるのではありません。著者がよく使われる言葉で言えば、それは「たましい」の問題なのではないかと思います。看護師さんだけでなく、医者、ヘルパー、お見舞いのときなど、まさに心すべきことでしょう。


巻末の、免疫学者の多田富雄との対談も、とても素晴らしいものです。特に能の「入舞」という言葉がいいですね。これは、舞人が舞台から去る前にひと舞することだそう。世阿弥は「老いの入舞」とも言っているそうですが、そんなふうに、舞を軽く舞うように人生の最後のステージを過ごせれば、素晴らしいのではないでしょうか。