自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2578冊目】マーガレット・アトウッド『侍女の物語』


キリスト教原理主義者のクーデターが起きた「もうひとつのアメリカ」が舞台。ギレアデと名付けられたその国では、すべての女性が財産を没収され、仕事を奪われ、別の役割をあてがわれています。


本書の語り手である「オブフレッド」の役割は、その中でももっともおぞましい「侍女」です。


侍女の役割は「司令官」と呼ばれるエリート層の子を産むこと。赤い服を着て(この国では、役割ごとに着る服の色が決まっています)、顔の両側に白い翼をつけ(顔が見られないように)、儀式の夜(排卵日でしょうか?)には「司令官」と性交する。それも、その「妻」の立ち会いのもとに!


さらに、彼女らは名前を奪われます。所属する男性のファーストネームに「オブ」を付けた名で呼ばれるのです。「オブフレッド」「オブグレン」といった具合に。 


そして、出産能力がないとなると(この国では、妊娠しない原因は全て女性の側にあるとみなされます)、放射性物質のゴミ拾いという仕事に回されます。


他にも処刑された人間を見せしめに壁にぶら下げたり、女性は文字を読むことが許されなかったり、使用するお金は「トークン」という代用貨幣であったり、あるいは「小母」という監視役がいたりと、たいへん周到につくられた監視社会なのですが、恐ろしいのは、これらすべてが「どこかで見たことのある」光景であること。


例えば侍女の設定を最初に読んだ時、思ったのは、


「これって『大奥』じゃね?」


ということでした。


いや、日本に限らなくても、中国の後宮をはじめとして、「女性を、支配層の子を産むための道具として扱う」システムは、歴史上決して珍しくありません。


名前を奪うことだって、考えてみれば、更級日記』を書いたのは、菅原孝標の次女である「菅原孝標女」ですし、蜻蛉日記』の著者は「藤原道綱母」ですよね。彼女らの名前もまた、親や子の名に従属したものでした。


今も女の人はよく「○○さんの奥さん」とか「△△ちゃんのお母さん」みたいに呼ばれますが、これだって、見方によっては(よりソフトで、わかりにくい形で)名前が奪われている、と言えなくもない。


そうなのです。本書がディストピア小説の傑作であるゆえんは、私たちが生きる現実の社会もまた、ひとつのディストピアであることを逆照射している点にあるのです。


そういう意味で、これはものすごく怖い小説です。『一九八四年』に並び称されるのもわかる気がします。


最近、続編が出たそうなので、いずれ読んでみたいと思います。