【2577冊目】角幡唯介『空白の五マイル』
決して本に書いてないことがあります。誰も行ったことのない場所のこと、です。チベットのツアンポー川は、まさにそういう場所でした。
幾多の探検家が挑み、未開の地は少しずつ減ってゆき、それでも最後に残った「空白の5マイル」。本書は、そこをついに踏破した著者による、輝かしいデビュー作です。
その探検は、まさに死と隣り合わせ。ツアンポー川でも、たくさんの人の命が失われました。中でも印象的だったのは、第三章「若きカヌーイストの死」。武井義隆という尊敬すべき人物にして、熟練のカヌーイストが、なぜ川に呑まれてしまったのか。生き残ってしまった方の言葉が痛切です。
著者は、そんな過酷なツアンポーの探検を、一度は果たしたのち、朝日新聞に就職します。しかし「もっと深いところでツアンポー峡谷を理解したい」と思い、なんとその一念だけで、会社を辞めてしまうのです。
そして挑んだ、二度目のツアンポー。
実は本書で一番面白かったのは、この「二度目」のほうでした。以前と中国側の姿勢がすっかり変わり、行くことさえ許可されず、それでもなお探検を強行する著者には、現地のガイドは誰もついてくれず、ついに著者は、単独でのツアンポー突破を決意するのです。
それは、まさに死線をくぐり抜ける24日間でした。
食糧は底を尽きかけ、やっと辿り着いた村は放棄されていて無人。なんとか見つけた集落は、ツアンポー川の断崖絶壁の反対側。絶体絶命のピンチです。
もちろん、そのピンチをくぐり抜けたから、著者はこの本を書けたのですが、それがわかっていても、最後までハラハラドキドキの探検行なのです。
それにしても、なぜ著者は、せっかく勤めた会社を辞めてまで、こんな危険な探検を繰り返すのでしょうか。その答えは、本書の「エピローグ」に書いてありました。
普通は「避けるべきもの」と考えられる「死」。
しかし、著者のような冒険家は、
「命がすり切れそうなその瞬間にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている」(p.295)
というのです。
「冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか」(同頁)
これを言い換えてみれば、生の意義とは、死との境界線上にしか見えてこないものである、ということになりましょうか。冒険とは、そのような状況を人為的に作り出している行為なのであって、人生の本質を濃縮したものなのかもしれません。
だとしたら、私にとっての「空白の五マイル」はどこにあるのでしょうか。読み終わって、そんなことを考えさせられました。