自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2558冊目】高田衛『八犬伝の世界』

 

 

南総里見八犬伝』を読み解いた一冊。2005年、ちくま学芸文庫で「完本」が刊行されたらしいが、今回読んだのは、古書店で入手した1980年刊行の中公新書。だいぶ内容が組み替わっているらしいので「完本」もそのうち読んでみたい。

 

曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は、ダイジェスト版を子どもの頃に、白井喬二の現代語訳バージョンを数年前に読んだきり。それも江戸時代の伝奇小説、エンタメとして読んだだけだった。そこにいろんな意味を読み込むという意識自体がなかったわけなのだが、著者によれば、こうした小説を単に著者の空想の産物として捉えること自体が近代以降の発想であり、当時の「稗史」においては「高次な虚構は恣意的空想であってはならず、何らかの根拠を必要とするという暗黙のルールがあった」(p.15)という。

 

その点が、現代の読み手にとっては「謎解き」の愉しみとなるわけなのだが、なかでも面白いのは「名詮自性」という方法である。例えば、里見義実が鯉にまたがっているのは「鯉」=「里」+「魚」であって「里見の魚」であるためであり、「伏姫」の名は「伏」=「人」+「犬」であることから、そこに「人に従い犬に従う」宿命を読む。

 

さらにこの物語のカギをなす「八つの文字の珠」は「八字文殊」を指すとしか思えないという。八字文殊とは「八字の真言を持する文殊菩薩」である。巨大な唐獅子の背中にまたがった女体の文殊であり、周囲には9人の幼童子が描かれる。そのうち8人は「文殊八大童子」、1人は「文殊侍者」だ。また「八字文殊曼荼羅」というマンダラもあって、ここでは八大童子のうち2人が尼童子、つまり女性であることがわかる(だから犬士は8人であって、そのうち女装者が2人なのだ)。文殊はもちろん物語の中心となる「伏姫」そのもの。さらに本書のラスト近くでは、そもそも「マンダラ」は「まだら=斑」に通じ、そのため「犬」を意味する言葉でもあるという指摘があって驚く。ここにも「名詮自性」がある。

 

八犬伝は様々な物語を下敷きにしている。馬琴自身が明らかにしているだけでも「里見軍記・房総地誌関係」(八犬伝のベースには房総のローカリズムがある)、「槃瓠(ばんこ)説話」(いわゆる異類婚姻譚)、「水滸伝」だ。これらを巧妙に組み合わせることで、馬琴はローカルでマジカル、かつヒロイックな前代未聞の物語を生み出したのだ。本書は絡まり合った糸をほどくように、多重多元的なルーツを解き明かし、八犬伝そのものの本質に迫ってみせる。その内容を一言で言うのは難しいが、おそらくキーコンセプトは「シンクレティズム」であろう。

 

いずれにせよ、これは無類の物語を解き明かした、無類の一冊である。その凄みをうまく伝えられずもどかしいが、読めば「八犬伝」自体を読み直したくなること必定だ。なお「八犬伝」自体が未見という方は、子供向けのダイジェストでもいいのでぜひ一読すべき。日本人に生まれてこの奇想天外の物語を知らないのは、もったいない。