【2538冊目】福永武彦『幼年』
「幼年」「伝説」「邯鄲」「風雪」「あなたの最も好きな場所」「湖上」の6篇が収められている。
最初の「幼年」が変わっている。著者自身の幼年時代を綴ったものなのだが、段落の切れ方がヘンなのだ。文章の途中で段が変わり、しかもそこで主語が「私」だったのが「子供」に変わる。たとえばこんな感じだ。
「しかしその夢が果して面白かったかどうか、愉しかったかどうか、
私は覚えているわけではない。どんな夢を
子供が見るものか、見たものか。しかし確かに子供は彼の就眠儀式が終らないうちに、もう夢の中にいて、その中で笑ったり叫んだりしていたのだ」(p.11)
たまたま夢のくだりを引用したが、この「幼年」全体が、思えば夢まじりの思い出のようで、どこまでが現実なのかよくわからない。むしろ幼い頃に母親を失って以来、著者自身が、夢と現実のあわいに生きているかのように。
他の作品も奇妙な雰囲気があって、いずれも忘れ難い。「邯鄲」「風雪」などは男女の会話が中心で、ほとんど動きも見られない小説なのだが、それでいてどこか不穏な空気が漂う。平凡な風景や人物を描いていても、どこか不穏な雰囲気の絵が時々あるが、そんな絵を小説にしたらこうした短編になるのだろう。
福永武彦の名前は知っていたが、読むのは実は初めてだった。地味といえば地味だが、なんとも独特の味わいがある作家である。あくまで個人的な趣味だが、息子(池澤夏樹)や孫(池澤春菜)の作品よりも惹かれるものがある。