宇宙の片隅で本を読む

自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【2537冊目】佐藤眞一『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』



これは良い本だった。認知症の症状や特性などの解説もわかりやすいが、なんといっても認知症ではなく「認知症の人」にフォーカスしているところがすばらしい。「障害」や「病気」や「症状」に着目することは大事だが、それが行き過ぎて相手を「人間」として見ることを忘れたケアや相談援助は、たいてい失敗する。それは障害福祉でも医療現場でも同じこと。


たとえば、認知症の人はあまりしゃべらない、と言われることがある。だが「テレノイド」というアンドロイドを前にすると、多くの人が楽しそうに「会話」するという。このテレノイド、アンドロイドとはいえ、極端に無個性で不気味ともいえる見た目で、性別も年齢もよくわからない。なのに、普通の人とまったくしゃべらない認知症のお年寄りが、なぜたくさん話すのか。


著者は、個性がないからイメージが投影しやすい、注意が一点に集中しやすいため顔に意識が集中して他のことが気にならない、などの理由を挙げているが、本書を読む限り、どうもそれだけではなさそうだ。思うにこれは、われわれが認知症の人と話すときに、いろんな形で「話しづらい」要因をつくってしまっている、ということなのではないか。認知症の人とコミュニケーションをとるには、相手のことを「意思疎通困難」と決めつけるのではなく、われわれ自身がそうしたマイナス要因をしっかり発見し、取り除くことが必要なのではないか。


そもそも認知症の人は、われわれと同じ世界を生きているようでいて、実は「違う世界、違う現実を生きて」いる(p.228)。だから、周囲の人が自分たちの現実を押し付けてしまうと、彼らはそのズレを許容できず、ひいては認知症の人のアイデンティティを崩壊させてしまう。彼らにとっては「物忘れがひどい」のではなく「お前が財布を盗った」が、「あなたは世話を受けて暮らす人」ではなく「おれはここの責任者」が、「運転は危険だから免許はとりあげます」ではなく「私は無事故無違反の優良ドライバーだ」が現実なのである。


もちろん、だから運転させてよいとか、言われるがままになんでもさせてよい、ということではない。だが、この「ズレ」を埋め合わせる努力がないと、認知症の人はどんどん孤独になり、自信を喪失し、気持ちが落ち込んでいくだけだ。そして、この「ズレ」を埋め合わせ、相手のほうに寄り添うことができるのは、家族や支援者など周囲の人しかいないのである。


本書で紹介されている「CANDy」(日常会話式認知機能評価)という手法も、認知症の人への深い人間理解に基づくものである。これは通常の会話の中から一定の兆候(たとえば「同じことを繰り返し質問する」とか「最近の時事ニュースの話題を理解していない」など)を拾い出し、数値化して認知機能を評価するというものだ。これがすばらしいのは、長谷川式やMMSEと違って、正解がない(そのためプライドを傷つけず、正解しようと答えをまる覚えするようなことにならない)し、そもそも検査であることがわかりにくいという点である。従来型の検査については、7割の人が「苦痛がある」と答えているというのだからなおさらである。