【2511冊目】斉須政雄『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』
「毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる」(p.37)
どんな道であれ、その道で「ホンモノ」となった人の言葉は、他のすべての道に通じるものである。野球選手でも指揮者でも、大工でも営業マンでも関係ない。私は本書の著者を知らないし、残念ながら「コート・ドール」にも行ったことはないが、著者は「ホンモノ」だと感じる。ひとつひとつの言葉の奥行きというか、身体への響き方が違うのである。
「子どもが子どもらしく過ごす時代を必要としているように、見習いは見習いの立場にいる時に、徐々に自分の目指す技術や夢について思いめぐらすことを必要としているのではないでしょうか」(p.62)
大工の小川三夫はこれを、最初のうちはただひたすらに浸ることが必要だ、と言っていた。テレビもラジオも、今で言えばスマホもパソコンもいらないのだ。今はどこもかしこも「即戦力」ばかりを求めすぎている。
「ある程度の実力がつくまでは無傷でいないと、思いきり才能を開花するところに行き着かないものです」(p.207)
これも見習い時代の重要性に通じる指摘。厳しくすればよいと思っているパワハラ上司に聞かせてやりたい。誰かがこういうことを率先して引き受けていかないと、社会に人を育てる場所がなくなってしまう。
「経験上、優れた人が他人を判断する時に目を留めるところは「ひとつひとつのことをきちんと処理しているかどうか」なのではないかと思うのです」(p.75)
立派なことばかり言っていても、雑用ができない奴はダメだ。コート・ドールでは、新人にはまず掃除と片付けをさせるという。そこで見極めをつけているのだろう。自治体職員でも、机の上が乱雑だったり、コピーがちゃんと取れないのに仕事ができる奴はいない。
「調整したほうがいいところを、マニュアルから外れて過不足なく補えるのが、わかっている人なんですね」(p.215-6)
我々の仕事で言えば、いわゆる「融通が効かない公務員」ではダメということだ。もちろん法令違反はできないが、許される範囲内でいかに解釈や運用を工夫するか。そこに力のある職員とそうでない職員の差が出てくる。
「ふつうにしているけどやる時はやるというのが、すごい人なんじゃないかなぁと感じます。「ふつう」って、無味無臭で透明人間なんですよ」(p.127)
こういう人が上司だと理想的。そういう人はおそらく、普段から自分の中に「溜め」があるのだろう。だから必要な時は一挙に加速できるのだ。
「社会的な立場が上がれば上がるほどプライドを軽くしていないと、その下で働く人たちが酸欠状態になってしまいます。上になったら、もう、「いるんだかいないんだか、わからないね」というぐらいの風通しのいい状態を奨励したほうが、健康な雰囲気の職場になるのではないでしょうか」(p.175)
これもさっきの引用と合わせ技で大事な指摘。どうしてチマタのビジネス書は、リーダーにやたら「存在感」を求めたがるんだろう。
「見る。聞く。嗅ぐ。動く。身体の中まで入り込んだ時に、初めて、言葉や手法は発露するのです」(p.272)
私の場合、これまでの経験の中で、実は読書から得たものはだいたい2割くらい。他のほとんどは現場の実践の中で、文字通り身体に染み込ませるようにして会得したものだ。「知る」と「わかる」の間には、天と地の差がある。日々の重厚な経験を身体に取り込むことこそが、ホンモノの学びにつながってくる。だからこそ日々の仕事は大切なのである。