自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2479冊目】小此木啓吾『対象喪失』

 

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

 

 

死別、離婚、失恋。大切な人との別れは人生につきものだ。そんな時、人はどのようにして悲しみを乗り越えるのかについて、フロイトの理論をベースに書かれた本書は、1979年の刊行ながら、今も読み継がれる名著である。むしろ震災などの影響もあって、本書の重要性はかえって高まっているのではないか。

著者によれば、自分にとって大切な対象を失った場合、2つの心的反応が起こるという。1つは急性の情緒反応(emotional crisis)、もう1つは持続的な悲哀(mourning)だ。情緒反応は感情的な興奮やパニックが中心で、時に感情の麻痺や人格の分裂に至ることもあるが、通常は短期間で回復する。一方の持続的な悲哀は、もっと内面的な心の中の営みであり、具体的には「失った対象に対する思慕の情、くやみ、うらみ、自責、仇討ち心理など、さまざまな愛と憎しみのアンビバレンス」(p.45より)が挙げられる。

J・ボールビーは、母親を失った乳幼児の反応から、この悲哀反応のプロセスを定式化した。それによると、第一段階は「抗議と不安」の段階で、「母親を見失った現実に抗議し、その運命に逆らい、必死になって失った対象を取り戻そうと」する。第二段階は「絶望と悲嘆」とされ、ここでは「母親がいなくなった現実がもはやどうにもならないことを悟り、絶望し、深刻な悲嘆が襲う」。そしてこの段階を潜り抜けると「離脱」に至る。ここでは「母親に興味を失い、母親を忘却してしまったかのような態度が見られる」。

もちろん失った対象が何か、関係性やその人の性格によってもプロセスや要する時間は異なるが、一般にこの「持続的な悲哀」は、半年から一年くらい続くとされる。大事なのは、知識として知っていたからといってこの期間が短縮できるものではない、ということ。むしろ、しっかりと時間をかけて対象喪失に向き合い、辛いことではあるが、不安や現実の否認、深い絶望や悲嘆に心を浸すことこそが大切なのである。ちなみにお気づきの方もおられるだろうが、このプロセスは、キューブラー・ロスが示した、死の受容に向けたプロセスとよく似ている。それも当然であって、死とは、自分自身という最大の対象からの喪失なのである。

さて、半年から一年といった期間が必要だと言われても、この忙しい現代社会で、そんなに長い間、失った相手を悲しがってはいられない。家族の死であればともかく、離婚や失恋などであれば、数週間も経てば、みんなに「いつまで引きずっているんだ」「早く立ち直れ」などと言われてしまうのではないか。そこで起きるのが、こうした不安や悲嘆を抑圧し、いわば強引に心の中に押しとどめてしまうという事態である。ところが、これは合理的なようでいて、実はたいへん危険で、かえって回り道になってしまうやり方なのだ。本書ではそうした「不完全な悲哀プロセス」から生じる「こじれ」の症状がたくさん紹介されている。うつ反応、極端な潔癖症、人格の分裂、さらにはストーカー殺人のようなものも、こうした点から説明できてしまうだろう。著者は次のように書いている。

「心の健康とは、憎しみ、悲しみ、不安、罪意識のない、幸せと満足がいっぱいの快適なだけの世界のことではない。むしろ悲しみを悲しみ、怒りを怒り、恐れを恐れとして感じることのできる世界のことである」(p.159)

では、どうすれば現代人が適切な「悲哀の仕事」を経て、回復することができるのか。実は、古来、人はさまざまなものや人の助けを得て、対象喪失の悲哀を乗り越えてきた。特にその役割を果たしてきたのが宗教だ。また、旅に出るという人や、文学や音楽の助けを借りるという人もいるだろう。そして現代では、さまざまな援助者の助けを借りて、多くの人が悲哀のプロセスを乗り越えている。中でも著者が重要視するのは「転移」と「投影同一視」である(このあたりは精神分析医としての著者らしさが出ている)。

「転移」とはもともと精神分析の用語である。例えば父の死であれば、亡くなった父と自分の関係を援助者と自分の関係に移し替え、同一視することで、失った相手との関わりを再現させ、悲哀を乗り越える一助としていくといったプロセスが生じる。医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの立場にある人は、意図せずしてこうした役割を担うことになりやすいため、「悲哀の仕事」について一層よく知っておく必要がある。

「投影同一視」の場合は、自分と同じような対象喪失を経験している人物を見つけ、その人の悲哀に自分を重ね合わせ、相手の悲哀の仕事を助けることで自分自身が悲哀を乗り越える。葬式や法事で近親者が互いに語り合い、慰め合う行為は、おそらくこうした作用を担っているのだろう。

いずれにせよ、冒頭にも書いたように、すべての人間は、対象喪失の悲しみからは絶対に逃れられない。そこでいかに悲嘆を受け止められるかに、私たちの人生はかかっているといって過言ではない。「その日」を迎えた人自身がこんな本を読む余裕はないだろうが、周囲の人、とりわけ支援にあたる専門職の人にとって、本書はおススメできる一冊だ。