【2381冊目】ユーディト・W・タシュラー『国語教師』
事実とは何か。物語とは何か。真実とは何か。事実よりも物語の方が真実を語ることがあるとすれば、それはどういう時だろうか。
作家のクザヴァーと国語教師のマティルダ。熱愛とすれ違いの末、クザヴァーが黙ってマティルダのもとを去ってから16年。クザヴァーは、マティルダの勤める学校にワークショップの講師として派遣されることになる。
また会いたいと訴えるクザヴァー。過去の仕打ちを責めるマティルダ。微妙なすれ違いを重ねるメールのやり取りから始まるこの小説は、だが単なる「男女の再会物語」ではない。二人の両親や生まれ育ちのこと、別れた後にクザヴァーを襲った悲劇のこと、そして二人が互いに語る「物語」が次々に差し挟まれる。
普通、こういう小説を読むとなにがなんだか分からなくなって混乱するのだが、本書は不思議とそうならない。むしろ場面が過去に飛んだり、一方の語る物語の中に入っていくたびに、それまで分からなかったこと、見えなかったことが徐々に明かされていく。キーになるのは、マティルダと別れた後に結婚したクザヴァーが、1歳半の息子ヤーコプを「誘拐された」事件なのだが、どうにもきな臭く嫌な予感しかしないこの事件の真相は、なかなか明らかにされない。
本書の醍醐味は、二人が互いに向けて語る物語。そこには二人の間に今なお横たわる「真実」が、どんな事実よりも見事に描き出されている。そしてついに、物語は、一方が秘めていた事実そのものまでも言い当ててしまうのだ。ドイツのミステリ賞を受賞した作品とのことだが、ミステリの枠を超えたなかなかの秀作長編であった。