自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2304冊目】池田晶子『人生は愉快だ』

 

人生は愉快だ

人生は愉快だ

 

 

2008年刊行。ということは、2007年に亡くなった著者の、最後の一冊。それが「生と死」を大きく扱っていることは、タイムリーというべきか、皮肉というべきか。

3部構成。第1部は歴代の思想家、宗教家たちの「死」に関する考察を著者流にダイジェストしている。ブッダに始まり、孔子老子ソクラテスデカルトマルクスからフロイトから一休まで登場者は多彩だが、時代が後になったからといって、必ずしも思索が深まっていないところが面白い。というか、冒頭に示されたブッダの死生観を、ひょっとしたら誰も超えていないのではなかろうか。

第2部は人生相談で、こちらは著者ならではの回答が面白い。これを読むと、この人は本当に、徹底的にロゴスの人なのだなあ、と感じる。悩む気持ちに共感するというより、悩みのもとになっている思考の絡まりやほつれに対して、そのおおもとのところに斬り込んでいく。その鮮やかな回答は読んでいて爽快でさえあるが、う~ん、質問者はたぶん、理解はしても悩み自体は氷解しないんじゃないかなあ。

なんて思っていたら、第3部のエッセイで面白いことが書いてあった(「和食は人生の味わいだ」p.272~)。引用させていただこう。

「ところが年齢的に体力も落ち、お肉もさほど欲しくない、そんなふうになってくると、考え方、感じ方も、やはり変わってくるんですね。論理と論理のはざまにあるもっと微妙なもの、捉えようがなくて論理で触れると壊れてしまいそうなもの、これがどうしても気になるようになってきた。そういうものには、これを壊さないように、そっと寄り添って見守っていくという接し方が必要になるのです」(p.274-275)

これまでの著者の、論理でガシガシ進んでいくような思考は肉食的で、食に対する嗜好が変わってくるにつれ、そうでない部分が気になってきたと。うんうん。これはかなり大事な告白だと思う。おそらく著者がもっと長生きしていたら、そういう「和食的池田晶子」の、ロゴスの積み上げ以外の部分からの文章が読めたかもしれない。著者の思索もまた、「語り得ないもの」を語るための、新たな話法を身につけるところに到達したかもしれない。あたかもヴィトゲンシュタインが、前期と後期で大きな展開を遂げたように。

そう考えると、なんとも惜しい時期に著者は亡くなったものだ、と思えてしまう。「後期池田晶子」の哲学を、ぜひ読んでみたかった。