【2221冊目】野口裕二『ナラティヴ・アプローチ』
「われわれの生きる現実は様々なナラティヴによって成り立っており、ナラティヴによって組織化されている。ナラティヴ・アプローチはこうした認識から出発する」(p.11)
誰もが「物語」をもっている。物語というと大げさに聞こえるが、私たちがこれまでの人生の中から何かを意味づけようとすれば、そこにはすでに物語が生まれている。私たちはそれを「現実」「真実」と呼んでいるにすぎない。
ナラティヴ・アプローチは、こうしたナラティヴ(語り、物語)をナラティヴとして認識するところから始まる。ナラティブは生活上のあらゆる場面に存在する。家庭、職場、医療、福祉、裁判・・・・・・。本書はこうした場面ごとに、その場にあるナラティヴのありようを考察する一冊だ。
ナラティヴの効用については、第6章でシンプルにまとめられている。社会福祉領域のナラティヴ論とのことだが、ほかの領域にも通用する内容だろう。
(1)現実を相対化する
(2)問題を外在化する
(3)物語としての自己(自己定義)
(4)トポスとしてのコミュニティの重要性の強調
(5)当事者による専門職への批判
どれも重要なポイントだが、(5)は福祉に携わる者としてはギョッとする項目だ。誰もが自らの物語をもっている、というのがナラティヴ・アプローチの前提のひとつだが、そこから関わりがスタートする以上、医療も福祉も「当事者」が出発点にならなければならないのだ。「専門家」による出来合いの見方に当事者の物語を押し込めてしまうことの危険性は、いくら強調してもしすぎることはない。
だがそれは一方で、当事者の信念や確信を「物語」として外在化することにもつながる(上記(2))。当事者自身が、物語ることによって自分のナラティヴを客観視できるのも、ナラティヴ・アプローチの良いところだ。
リフレクティング・プロセスという試みも面白い。これは、当事者(例えば、ある家族)と面接を行う際に、「リフレクティング・チーム」というもうひとつのグループを用意するというものだ。家族と「リフレクティング・チーム」はマジックミラーで隔てられている。最初に面接者と家族が面接を行い、リフレクティング・チームはそれをマジックミラー越しに観察する。次にミラーを反転させ、リフレクティング・チームが観察した結果について会話し、家族はそれを観察するのである。
自分たちの「物語」を他の人々が語る。それを観察することで、セラピーが画期的に進展するという。第2章の著者はこれを「観察する観察者と観察される観察者の旋回」と表現する。まあ、ここに限らず、本書にはこういうわかったようなわからないような表現が頻出するのが欠点だ。そのため、正直いってイマイチわかりにくい本だった。ある程度の専門家をターゲットにしているのだろうが、医療や福祉の現場の関係者ほどナラティヴ・アプローチには関心が強いと思われるのだから、もう少し平易で具体的な書き方をしてほしかった。