【2103冊目】島泰三『ヒト 異端のサルの1億年』
「ヒト」とは何か。それを考えるには、「ヒトでない存在」と比べるとよい。ヒトとなるべく近いほうがよいから、類人猿がよい。特に大型類人猿だ。なんといっても、大型類人猿という分類にはオランウータン、チンパンジー、ボノボ、そしてヒトが、そもそも含まれているのだ。
著者のことは全然知らないのだが、なかなか個性的な研究者であることは文章の端々からもうかがえる。マダガスカルやボルネオの密林でサルたちに出会うことも多く、現場一筋でやってこられた方のようだ。中でもアフリカのヴィルンダ火山群近くでマウンテンゴリラと出会った時の描写は印象的だ。
「私はマウンテンゴリラに会ってしまった。その驚くほどの感覚が、何年たっても巨大な梵鐘の余韻のように轟いてやまない。会ってしまったのだ。その偉大な類人猿の印象が、心を埋めてしまった。あのマウンテンゴリラの大きな深い目が、地球を半周する距離を隔てて、今なお私に語りかけている。
「人はなすべき何事かをなすべきときに来ているのだよ」と」
おおお。これは神託なのではないか。
ちなみにゴリラは「笑う」し、コトバも使えるという。ゴリラに手話を教えたパターソンが「あなたは動物、それとも人間?」と聞いたところ「ステキナ ドウブツ ゴリラ」と返事をしたそうだ。
もっとも、本書で興味深いのはこうしたエピソードだけではない。なんといっても、著者が提示する大胆極まりない仮設が面白いのだ。例えば、これは著者の別の本で詳しく触れられているというが、人類の祖先である「類人猿第四世代」の連中が自然淘汰の中で生き延びることができたのは、新たなニッチを開発したからであった。そして、それは、草食から「骨食」への移行だったというのである。著者に言わせれば、退化した犬歯も、平べったい臼歯も、道具の発明さえ、骨を砕いて食べるためのものだった(それだけではないが)。そして、手に物を持つことで、彼らは「直立二足歩行」をすることになったのだ。
他に驚いたのは、言葉の発明は「ヒトとイヌ」の異種間コミュニケーションによって育まれたものである、という指摘だ。「同種の場合のコミュニケーションには二重の確かめはいらない。同じしぐさは、同じ心を示している。だが、別種の場合には、いつも二重の確かめが必要になる」。ホンマかいな、とも思えるが、仮説としては面白い。
こんな感じで、意外性のあるエピソードと仮説を織り交ぜながら、「ヒトの起源」の最新情報を盛り込んだ一冊。上に書いたようにすべてを真に受けるのは少々難しいが、ヒトの誕生までの歴史的な流れをわかりやすく説明しているという点では、なかなかに重宝する本である。