自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2082冊目】司馬遷/宮崎市定訳『史記列伝抄』

 

史記列伝抄

史記列伝抄

 

 
東洋史学の泰斗、宮崎市定氏の名訳による『史記』ダイジェスト。氏自身の史記に関する論考も後半にまとめられていて、『史記』をその内外から堪能できる。

読み始めて驚いたのは、その訳文の読みやすさ。日本語としてこなれているだけでなく、リズムと勢いがあって、とてもじゃないが学者の翻訳とは思えない。試しに他の訳をいくつか覗いてみたが、リーダビリティは段違いである。

だが著者によれば、そもそも『史記』の文章の多くは、民間の語り物を取捨選択、編集の上で引き写したもの。もともとは市井の語り部が民衆に向かって何度となく語ったものなのだから、講談のようなリズムと勢いがあって読みやすいのも当たり前なのだ。

史記』が純粋な歴史書というより、歴史と文学の間に存在するというのもそういうことで、確かに厳密な考証には耐えられない部分も多いのかもしれないが、その分、何といっても「お話」としてめっぽう面白いのだ。日本でいえば『平家物語』や『太平記』のようなもの、あるいはいっそ『古事記』か。

だが、『史記』が面白い理由はそれだけではない。描かれているなまなましい人間模様が、現代の会社のような組織にもあてはまるようなものばかりなのである。特によく出てくるのが、すぐれた能力をもつ策士が君主に重用されて、その存在を妬む側近があることないこと君主に吹き込み、アホな君主がその誹謗中傷を真に受けて策士を追放したり殺したりする、というパターン。まあ要するに「会社組織あるある」のオンパレードなのだ。

「貴人の為と思って、その信頼する大臣の欠点を論ずると、これは離間の策だと疑われる。若し位の低い臣下の長所を申し立てると、これはその為を計って恩を売ろうとしているのだと疑われる。貴人が愛する人を賞めれば、ひそかに貸しを造っておくのだと疑われ、その憎む人の欠点を論ずれば、これは俺様を試しているなと疑われる。単刀直入に事を論ずれば、こいつは物知らずだとして、罵倒されかねない。言葉を多くして飾りたてれば、冗長だとして飽きられる。規則に従ってひたすら無理なく事を述べれば、臆病者で独創がないと見下される。注意を惹くために誇張した言い方をすれば、こいつは野人で礼を知らぬとばかにされる。これらもろもろの説くに難きことは是非弁えておかぬと大へんな事になる」(老子韓非列伝 第三より)

 


これだけでもそのままサラリーマン処世術の世界だが、ここから先もたいへん面白いので、長くなるが続けて引用する。

「およそ遊説に当って、まず第一に心得ておかねばならぬのは、相手が敬っている人があればそれを持上げ、嫌っている人があれば、くそみそに貶すべきことだ。相手が計画を立てて得意がっている時は、もし失敗しても咎めだてしてはならぬ。相手が勇気を出して決断した事については、反対を唱えて怒らしてはならぬ。相手が力自慢する時には、それ以上の話を持ち出して、凹ませてはならぬ。相手が不似合な事を計画して仲間に引込んだ人、不似合いな人に感心して一緒に仕事を始めた人に対しては、お世辞を言っておくがよく、中傷してはならぬ。相手が同じ失敗を一緒にやった人については、それは失敗ではなかったと公けに保証してやるべきだ。本当の忠義者は、決して君主の心を逆撫でする諫言などはせぬものだ……」(同上)

 


まだまだ続くが、このへんにしておこう。2000年前の文章とはとても思えない。いつの世も、組織での処世や上司との付き合いは、いろいろと大変なものなのだ。