【2079冊目】高山文彦『宿命の子』
笹川良一をテーマに本を書くことだけでも大変なのに、本書は息子の陽平のほうを中心に据えて、笹川一族をめぐる毀誉褒貶、競艇事業からハンセン病制圧活動までの広範な事業、さらには日本財団内部の複雑怪奇なゴタゴタまでを描き切るという、とんでもない大仕事をやってみせた。いわば戦後日本の、これまであまり取り上げられてこなかった側面を描き出した一冊だ。
読み終わって感じたのは、「宿命の子」というタイトルが、陽平の置かれた立場の困難さを一言で表しているということだ。笹川良一という破格の人間を父にもち、息子であるがゆえにかえって誹謗中傷の的となり、それでも父を支え、父に群がる利権屋と闘い、ある意味で父を超える事業を多く成し遂げた。
良一ほど著名ではないが、後世の歴史家が評価するのは、むしろ陽平のハンセン病制圧活動や外交実績、東日本大震災での日本財団の活動のほうではないか。渡辺京二は「宿命を受け入れるのというのが本当の意味での自由だと思います」と語ったというが、笹川陽平はまさに、良平の子という宿命を受け入れ、その向こうに真の自由を見出したといえるだろう。
笹川親子の複雑で奥行きのあるパーソナリティを一言で言い表すのはむずかしいが、あえていうならそれは「反権力」ということではないか。特にこんな文章を読むと、これは笹川良一について著者が書いたものだが、陽平にもそのイズムは受け継がれていると感じる。次のようなくだりである。
「これまで見てきたように笹川良一という人物は、二度の逮捕歴と翼賛国会における生死を顧みない奮闘の経験などから、権力というものの恐ろしさと欺瞞を知り尽くしていた。「反権力」という言葉を安直にもちいるのはどうかと思うが、戦後は一貫して民間の側にありながら絶大な権力を有していたことは事実であって、しかしそこにはつねに弱い者の側に寄り添い、歴史的にもっとも長く人間として扱われず差別されてきた世界のハンセン病者の回復とその病の制圧に力を尽くしてきた点からしても、いかなる権力にも屈することのない反権力主義者であったと言って差し支えないだろう」(p.499)
権力がありながら反権力、というのもユニークだが、権力とは属性の問題であって、反権力とは姿勢の問題であるから、これは矛盾しない。むしろ問題は、反権力を気取っているジャーナリズムが笹川親子に関してはむしろ権力べったりで、ステレオタイプな「日本の黒幕」的な見方や官僚からの情報をもとに徹底的に彼らを叩いたということだろう。いわゆる「バッシング」というものがどのようなメカニズムによって行われているかということも、本書を読めば見えてくる。
さらにまた、日本という国がどういう人によって支えられてきたかということも、どういう人がその足元をすくい、日本をダメにしているかということも、本書からはいろいろと見えてくる(とくに運輸官僚や外務官僚の「足の引っ張りぶり」はひどい)。笹川親子を描けばそれが日本の裏面史になるというのもスゴイ話だが、彼らは「そういう親子」だったのである。