【2061冊目】立川談志『人生、成り行き 談志一代記』
七代目立川談志。破格の落語家であり、不世出の芸人であった。
本書は、その生きざまを吉川潮に語った一冊。貸本屋に通った小学生の頃。「最初から自分がうまいことに気付いた」という前座時代。政治家への挑戦。落語協会との訣別……。けっこうきわどい裏話も交えながらの「自分語り」は、さすがにおもしろさの勘所が押さえられていて、それ自体がひとつの芸談になっている。
個人的に面白かったのは政治家時代の話。談志ともあろう人がタレント議員なんて……と思っていたが、読んでみてこれは逆だと気付いた。タレント議員がブームなら「それに乗っからないなら落語家の資格がない」のである。「何か騒ぎがおきそうだぞ。それ行けェーていうんで行っちゃうようなオッチョコチョイだから、喋っても面白いんでネ」なのだ。しかも立候補が銀座のある東京八区。なぜかといえば「酒が美味くて、女がキレイで、土地が高いところから出ようじゃねえか」。マジメに政治家をやっている人から見れば、ふざけているとしか思えない、と言われるかもしれないが、談志ともなると、「ふざけ」にも一本芯が通っている。
落語について語ったくだりは、さすがに深くて鋭い名言が多い。「落語はネ、さっきも使った言葉だけど、”みんな嘘だ”ってことを知ってやがんのよ。ルノアールが何億円しようが、それが何だ、ってわかってる。だからこそ「猫の皿」ができるんですよ」「人間はどこにも帰属できない、ワケのわからない部分があって、そこを描くのが本当の芸術じゃないですか」「〈イリュージョン〉という領域、つまり人間の会話や行為や心理の不完全さをどう表現するか。これを表現するには、技芸もさることながら、演じる人間の広さが問われるんです。これを表現するには、完全さの美学では足りないんです。〈不完全さを出す〉という技芸が必要になるんです。そこまでできる人間の広さや視点や〈ぶれ〉が持てるか、ですよ」。この「不完全さを出す」というのが、スゴイ。
談志という人は、なんだかおっかないイメージがあって、それはまあ実際にもそうだったのだろうが、本書を読んで思ったのは、これほど優しくて気遣いのできる人は、そうはいないんじゃないかということだった。なんというか、気遣いをしないという気遣い、みたいなことができる人なのだ。人の心の弱さも醜さも知り尽くし、それを高座で笑い飛ばす。それができるのは、自分自身の弱さや醜さを知り尽くしているからなのだと思う(このあたりはビートたけしあたりと通じるものを感じる)。立川談志は、ホンモノの落語家であると同時に、人間としてもホンモノだったのだ。