【1916冊目】木内昇『漂砂のうたう』
表紙は小村雪岱の「春告鳥」。本書にぴったりの絵であるが、単行本では女性の姿を折り返しに隠し、飛ぶ鳥の姿を真ん中に据えた。しゃれた装丁だ。文庫本では女性の姿が表紙にでんと見えてしまい、つまらない。
舞台は文明開化間もない根津遊郭だ。東京と名を変えた江戸では、武士が零落し、浅葱裏の野暮天が幅を利かせる。失われつつある江戸の風雅と心意気の残照が、この小さな遊郭のなかにみごとに活写されている。
「あんた、『自由』って新語をどう思うえ」
花魁の小野菊は、定九郎にこう問いかける。確かに自由という言葉は生まれたが、実際には、誰もが自由とはほど遠く、狭い生簀のなかでのたうち回るだけだ。だがその中で、ある者はぎりぎりの意地を通し、ある者はみずからの矜持を死に物狂いで守るのだ。人の生きざまとはそういうもの。人が生きるとはそういうこと。その中でかろうじて射しこむ一筋の光だけが、この小説にとっての救いの糸となっている。