自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1867冊目】ジョン・マン『人類最高の発明アルファベット』

 

人類最高の発明アルファベット

人類最高の発明アルファベット

 

 

邦題は「人類最高の発明」とかなりオーバーで、だったら漢字はどうなの、と言いたくなってしまうが、原題は「Alpha Beta How our alphabet shaped the western world」という、たいへん穏当なもの。むしろ本書を読んでみると、アルファベットの文字体系の優位性・優秀性については、著者は極めて慎重であることがわかる。

中国の表記システム(漢字)の扱いも非常に丁寧。非・中国人にとっての中国語の表音方法の難しさに触れる一方で、たとえば非・英語話者にとっての英語表記の不規則性にも触れるなど、議論のバランスも非常に取れており、その結論としての「英語の文字体系も中国の文字体系も同一次元で優劣を競うことはできない。どちらも比較不可能な独自の言語世界なのだから」という一文には深くうなずかされるものがある。

むしろ漢字(やひらがな)に対しては、本書のラストで論じられているように、コンピュータとインターネットの発展、特に、私が今使っているような、ラテン・アルファベットを並べたキーボードが深刻な影響をもたらしている。文章作成の大半がキーボードを通して行われるということは、ラテン・アルファベットを通して漢字やひらがなやアラビア文字が「変換」されるということである。著者はそのことを指摘した上で、次のように皮肉めかして本書を閉じているのである。

「最も保守的で、最も古い伝統をもつ文字表記システムは、この先ローマの成り上がり者のライバルと手を組むことによってのみ、初めて生き残ることができるように思われる。これはなんとも皮肉な話ではないか」(p.319)

さて、いきなり本書の結語まで行ってしまったが、本書はこの「ローマの成り上がり者」であるラテン・アルファベットのルーツをたどり、この文字が世界中でなぜこれほどの圧倒的なシェアを占めるようになったのかを考察する一冊だ。中でも、古代エジプト文字にはじまり、ヘブライ人による原セム文字を経てフェニキア文字へ、そしてギリシア文字、エトルリア文字、ラテン文字へと続くアルファベットの進化論は、まさにひとつの生物種の進化プロセスを目の当たりにするかのようである。

読んでいて気になったのは、表意文字であるエジプトのヒエログリフが、どのようにして表音文字になったのかという、そこで重要な役割を演じたのが、エジプトに住む「アジア人の書記」であった(このアジア人は、おそらくヘブライ人)。

彼らは、ヒエログリフを使って自分たちのセム語をどうやって書き表せるかを考えた。そこで思いついたのが、ヒエログリフがもっている表意文字上の意味を捨てて、音だけを表記するという方法だ。例えば雄牛(セム語ではalep)を意味する文字は、その最初の発音である声門閉鎖音によって読まれるようになり、これが「a」の元となる。同じように「家」(セム語ではbayit)は、その頭音の「b」によって読まれることとなる。

これって、何かに似ていないだろうか。私はこれを読んで、かつての日本人が漢字の意味を無視して読み方だけで並べた「万葉仮名」によって文字を綴っていたことを思い出した。そこから漢字表記を簡略化し、表意性を完全にそぎ落とした結果、生まれたのが「ひらがな」であった。ヒエログリフとアルファベットの関係と、漢字とひらがなの関係は、実は相似形なのではないだろうか。

とはいえ、両者には大きな違いがある。ヒエログリフから「セム語読み」への移行は、子音のみで起きていたのである。先ほど「a」の例を挙げたが、これは今の「エー」のことではなく、別の子音(例えば「k」とか「s」のような)のことであった。当時、母音は子音の発音に際して「くっつく音」としてしか捉えられておらず、エジプト人自身も、母音をあらわす文字はもっていなかったという。

母音が文字として表されるようになったのは、ずっと後、フェニキア人のセム語からギリシア語への移行の際のことだった。それまでのフェニキア・アルファベットも、やはり「子音だけ」の文字であった。だが、ギリシア語では母音が重要だった。なぜか。ギリシア語の詩文を機能させるには、母音の種類と長さを正確に決めることで、韻文を表現できなければならなかったからだ。

そのため、フェニキア・アルファベットでギリシア語を表現する際、子音から母音への転換が行われた。具体的には、フェニキア・アルファベットの子音のうちギリシア語では使われないもの(先ほどの、雄牛から生じた「a」もそのひとつ)を、ギリシア人は「母音」として使うようにしたのである(これも著者の仮説)。まさに文字の廃物利用、文字のリサイクルであった。そして、ここにおいて母音を含んだ「アルファベット」が誕生し、現代まで使われ続けることになるのである。

……などと、ずいぶんクリアカットな説明としてまとめてしまったが、上でカッコ書きしておいたように、このくだりはあくまで著者の仮説なので注意。実際のところはもう少し曖昧模糊としており、最初にギリシア語で「書かれた」作品として知られるホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』の成り立ちも含めて、分かっていないことが多いらしい。

興味を惹かれたのは、アルファベットがここまで広まった一因が、発音や綴り方の「いいかげんさ」や「あいまいさ」にあったのではないか、という指摘であった。そもそも「書き文字」と「話し言葉」にはミスマッチがつきものだ。両者を完璧に統合するのは、おそらくどんな文字であっても不可能だろう(著者によれば、この「完璧さ」に最も近づいたのが、朝鮮で15世紀に生まれた訓民正音、後のハングルだという)。

かたや、アルファベットは厳密さを追求するより、「おおざっぱで手軽」な方向性に進んだ。その結果の一例が、不規則極まりない英語表記である。例えば英語には、shの音を表すつづり方が11種類以上存在するという(nation,shoe,sugar,mansion,mission,suspicion,ocean,conscious,chaperon,schist,fuchsia)。ジョージ・バーナード・ショーは、fishはghotiと綴ることもできる、と言った。roughのghがf、womenのoがi、nationのtiがshと発音するからである。このあたりのファジーさが英語学習のやっかいなところでもあるのだが、それゆえにこそ、様々な話し言葉に対応し、柔軟に「文字化」させることができたのだから、まあ、それもやむを得なかったということか。