自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1845冊目】デイヴィッド・ライト『ダウン症の歴史』

 

ダウン症の歴史

ダウン症の歴史

 

 

多くの場合、人間の染色体は2本が1組となっており、それが23組並んでいる。しかし、およそ800人に1人の赤ん坊が、21組目の染色体を2本ではなく3本もって生まれてくる。これを遺伝学用語で「21トリソミー」、一般的には「ダウン症候群」あるいは「ダウン症」と呼ぶ。

ダウン症候群の特徴は知能の発達遅滞、独特の相貌、多発奇形であるとされている。特に「目尻のつり上がりと両目の目頭を覆う部分にある皮膚のひだ」という外観上の特徴は、かつてのヨーロッパでは東アジア人との人種的な関連が連想され、そこから「蒙古症」という名称が生まれた。「ダウン症」の名称の由来でもある医師ジョン・ラングドン・ダウンは、これを「人類のより原始的な種族への自発的な逆戻り」と考えたという。その背景には、西洋人が東洋人より人種的に優越したものであるという「前提」があった。

ダウン症の原因もさまざまに仮定された。結核、梅毒、飲酒癖などがその候補とされた。もっとも「厄介」な仮説は、遺伝的な要因をそこに見い出すというものだった。そこには、20世紀前半の西洋諸国を席巻した「優生学」が大きく影響していた。優生学は、進化論における自然淘汰の考え方を人類に適用したもので、「不良な遺伝子を持つ者を排除し、優秀な国民のみを残して反映させる」べきであると考える。1883年にフランシス・ゴルトンが提唱し、欧米のみならず日本にも波及した。

その被害をモロに受けたのが、ダウン症などの障害者たちであった。ウィンストン・チャーチルは「この大きな邪悪の繁殖と生存を防ぐことは、何にもまして重要である」と述べた。H・G・ウェルズは「失敗者の断種」を公然と主張し、バーナード・ショーは「大多数の人々は、その存在をただ単に消し去らなければならない」と語った。

さらにここには、西洋諸国で成立・発展した義務教育制度が大きく関わっている。学校に入る児童を「統計的に」把握するため、知能検査が導入され、その結果、多くの児童が「精神薄弱児」として位置づけられた。知能検査を開発したビネーは、これを「児童の全能力の教育を進展させるための実践的な道具」であると考えていたが、実際には優生学者によって「精神欠陥者を識別して隔離するための道具」として利用された。知能検査によって知的障害の程度が数値化され、診断、矯正教育、隔離が正当化された。

特に重大なのは、「断種」が行われたということだ。アメリカでは施設が障害者で溢れかえり、退所のための「保険」として断種が行われることもあった。31州が断種を認めた法律を制定した。カナダや北欧などにおいても断種が合法化された。ナチス政権下のドイツでは、これがもっとも徹底した形で行われた。つまり、断種にとどまらず、知的障害者そのものの根絶が目指されたのだ。

優生思想は、ナチス・ドイツの敗北後も止まらなかった。北欧では1975年までに、6,000人のデンマーク人、4万人のノルウェー人、6万人弱のフィンランド人、6万人のスウェーデン人が断種されたという。だが、もっとも「注目」すべきは、わが日本である。1948年に制定された日本の「優生保護法」は、先進諸国中もっとも遅くまで残存し、1996年にようやく廃棄されたのだ。ウィキペディアによると、この法律では、遺伝性疾患、ハンセン氏病、「遺伝性以外の精神病、精神薄弱」をもつ患者本人のみならず、精神病や知的障害などを持つ者の4親等以内の血族が断種の対象とされていたのである。

こうした悲惨な時代に比べれば、ダウン症を含む障害者をとりまく環境は比較的良くなってきているように思える。だが一方では、科学技術の名のもとに、新たな難題が生じているのをご存知だろうか。

1975年5月、ニューヨーク市に住む37歳のドローレス・ベッカーは、夫とともにニューヨーク州裁判所に提訴した。自分がダウン症のある子供を産んだのは、担当した医師たちが出生前診断の存在と、その検査でダウン症を発見できるという事実を知らされなかったと主張したのである。夫婦は身体的損傷や精神的苦痛、生涯の医療費に加え「赤ん坊に代わって、この子の《不当な人生》に対する損害」への賠償を求めたのだ。

出生前診断が突きつけたのは「ダウン症のある子供は生まれるべきか否か」という深刻な問いである。ノルウェーでは、ダウン症があると判明した胎児の80%に中絶が行われた。デンマークではダウン症のある子供の数が半分になった。さらに拍車をかけたのが、妊娠10週から検査可能な「新型出生前診断」だ(それまでは妊娠15週から)。羊水検査と違って流産のリスクがないこの検査は、日本では2013年4月から臨床研究として導入され、1年間で7740人が受けた結果、142人が染色体異常を判定された。そのうち113人が羊水検査で異常確定し、110人が人工妊娠中絶を選んだ。

出生前診断という、科学と倫理をめぐる大問題に、ここでこれ以上言及するべきではないだろう。障害当事者でもその親でもない私に、これ以上何かを語る資格があるとも思えない。だがひとつだけ言っておきたいのだが、これによって「ダウン症のある子供を産むのは自己責任」であるという風潮が生まれることだけは、断じて許してはならない。あとは本書を読み、障害と社会の関係をめぐる歴史について、じっくりと思いをめぐらせることである。