自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

教育・学校本 総括

学校とか教育というテーマは、ある意味、誰もが「口を出しやすい」テーマである。

誰もが教育を受けているし、学校に行った経験がある。リアルな経験があるだけに、多かれ少なかれ、誰もが一家言もっている。「素粒子物理学」とか「バロック美術史」とか「中国の古代神話」のようなテーマだと、そういうわけにはいかない。

そういうテーマで「本を読む」ことは、それによって知識を身につけるというよりは、まず自分の思いこみや偏りを修正する作業となってくる。特に、まとまった冊数、似たようなテーマの本を読むということになると、自分の嗜好に合った本だけを読んでいるわけにはいかない。どうしても、自分が今まで読んでこなかった視点や主張の本にも手を広げることになる。しかし、それがいいのである。

今回で言えば、私は自治体職員であり、さらに言えば事務系の職員であるから、もっとも身近な教育関係機関は教育委員会であり、教育政策的なスタンスから教育行政を考える機会が多い。だから最初は教育委員会や、国や地方の教育改革を扱った本からスタートした。そこから歴史と空間をいったん広げた後で、スコープを一挙に教育現場に絞り込んだ。それが一連の「教師モノ」「いじめ関係」の本だった。

一方で、教育を思想のレベルまで掘り下げた本にも手を伸ばした。イリイチフレイレの著作は、こういう機会でもないとなかなか手に取ることはない。とりわけイリイチの本は、こうしたテーマ読書に欠かせない「アンチ」の視点を提供し、その思想的足場を形成してくれるありがたい一冊だった。

さて、そうなってくると、そもそも教育、学校とは必要なものなのか。そこを考えるにあたって結節点になると思ったのが不登校の問題だった。そこで示されたのは、学校だけではない「教育のオルタナティブ」の重要性だ。教育と学校の関係がある程度整理できたところで、最後に、一挙に教育の出発点に戻ったのが、マララさんと石井光太氏がコラボした一冊。制度、現場、問題を総覧したラストは、ここしかないと最初から感じていた。

もちろん、読めていない本は山ほどある。日本の教育にしても、寺子屋や藩校の教育メソッド、山びこ学校のような試み、学歴社会や「ゆとり教育」のこと、障害児教育のことなど、触れるべき本はたくさんある。世界に目を向ければ、各国の教育事情、シュタイナー教育モンテッソーリなどの独特な教育思想など、キリがない。

だがしかし、不足を感じるのはいつものこと。読書に完全や満足を感じたらおしまいだ。不足を次の読書のトリガーにし続けていくこと。読み続けるとは、そういうことなのだと思うのだが、どうだろうか。