自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1679冊目】ジャン・ヴィアル『教育の歴史』

教育の歴史 (文庫クセジュ)

教育の歴史 (文庫クセジュ)

教育・学校本7冊目。

古代から近代まで、主にヨーロッパを中心とした教育の歴史をたどる一冊。あからさまにフランスの教育史が中心となっており、内容的にはフランス国内向けに書かれた本と思われるが、それでもいくつか「なるほど」と思える点はあった。

古代では、ユダヤ人が「誰よりも教育の力を信じていた」というくだりが印象的。しかしその理由にはうなずけるものがある。教育は彼らにとって「多くの妨害があっても民族の永続性を広く保証」(p.19)するものだったのだ。そのため初等教育が組織化され、なんと西暦64年には、無料での義務教育を行う学校という着想が生まれた。教育の核となったのは律法を集成した聖典「タルムード」だった。

その後も教育は、社会の必要に応じて求められる。特にヨーロッパではキリスト教と教育が密接に結びついていた。中でも宗教改革の影響は大きかったようだ。そもそもルターの宗教改革は、教会によって独占されていた聖書を万人に解放するところから始まったのだから、聖書を読んで理解できるようになるための教育が必要とされたのは必然であった。ルターは「すべての子供が一日に少なくとも一時間または二時間は学校へ行けるように要求」(p.48)したという。カトリックの側もこれに対抗し、イエズス会のコレージュが大きく発展した。宗教戦争は教育戦争でもあったのだ。

また、これはフランスだからということもあるのだろうが、フランス革命の影響も特筆されている。なんといってもフランス革命においては、教育は国が行うべき事業であるとされ、教育の国有化に向かう大きな歩みが見られたのだ。ダントンは「子供は両親に属する以前に、共和国に属する」(p.66)と語ったらしい。そしてそれは、教育を宗教から切り離す試みでもあった。

実際、フランス革命後すぐというわけにはいかなかったが、その後のフランスでは国によって学校や幼稚園などが整備され、そこでは非宗教的な教育が施された。ちなみに本書によれば、宗教教育は家庭と聖職者が行うものとされ、そのために少なくとも週一日、学校は休みにしなければならなかったという。そういえばアメリカでも教会の「日曜学校」に家族そろって出かけるシーンが小説や映画で良く出てくるが、そのルーツはここにあったのだろう。

なお本書には「外国の教育」としてアメリカやイギリスとともに日本や中国の教育についても触れられている。ちなみに日本は「学校においては圧力があり、競争は活発で、若者たちの自殺は著しく増加している」(p.108)そうだ。うーむ。さらには「異なった三つの文字体系を覚えなければならないという教育的に困難な現実」があり失語症患者の数も多くなっている」(!)、「日本の小学生は算数で挽回して、国民の面目というものを大切に思っている」(p.108-109)という。なんじゃそりゃ。

意味分からん……というか、これは翻訳がおかしいような気もする。他にも本書は、翻訳がアヤシイ箇所が随所にみられ、文章も直訳調できわめて読みにくい。まあ、新訳で再販をかけるほどの本ではなし、ほとんど専門家しか読まないような本ではあるから、これは仕方ないのかも。だが上に挙げた日本教育論、実際はどんなことが書かれていたのか、ちょっと知りたい気はする。