自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1606冊目】山森亮『ベーシック・インカム入門』

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

看板に偽りなし。ベーシック・インカムについて意義、沿革、内容をコンパクトに網羅し、その全体像をわかりやすくまとめた「入門」のための一冊だ。ちなみに念のため書いておくと、ベーシック・インカムとは(厳密にはいろいろ考え方が分かれるが)「所得保障として、すべての国民に〈個人単位〉かつ〈無条件〉に給付されるおカネ」のことをいう。

意外だったのは、ベーシック・インカムという発想の原型が、なんと200年も前にあったということ。1796年、かのトマス・ペインが「人間は21歳になったら15ポンドを、成人として生きていく元手として国から給付されるべき」と提唱したという。もっとも著者も指摘する通り、これは「商売の元手」に近い発想であり「ベーシック・キャピタル」というべきだろう。

むしろいわゆるベーシック・インカムに近いのは、ペインへの反論として同時代のトマス・スペンスという人が提案したもの。こちらは年4回という定期的支払いのカタチを取っており、定期的な生活費の支弁という意味では、現代において検討されているものとそれほど変わらない。

さらに、その後に同種の制度を提唱した人々が本書では紹介されているが、これがなんとも錚々たる顔ぶれだ。ジョン・スチュアート・ミル、バートランド・ラッセルアントニオ・ネグリキング牧師ミルトン・フリードマン、エーリッヒ・フロム、ジョン・K・ガルブレイス……この顔ぶれを見る限り、ベーシック・インカムを単に「マイナーな」「変わり種の」思想と斬って捨てることは難しい。

さらに、ベーシック・インカムが提唱される背景もまた多様である。貧困対策はもちろん、フェミニズムや障害者運動、ネオリベラリズムからアウトノミア運動、さらにはエコロジーまでがここには絡んでくる。特に家事労働をめぐるフェミニズムの主張は重要で、そもそも「労働と賃金の関係」とは何なのか、という根本的な問題が、そこには潜んでいる。

ここからわかるのは、ベーシック・インカムとは、基本的には現行の福祉国家の枠組みを抜本的に入れ替える制度である、ということだ。こうした主張が登場する背景には、福祉国家そのものの問題が大きく横たわっている。特に、福祉受給にかかわるスティグマ(恥辱感と著者は説明するが、元々の意味は「烙印」)の問題は深刻だ。著者はこう書いている。

スティグマと正の序列化は、福祉国家の理念自体に内在した問題点である。賃金労働に従事し生活できる者たちを標準として、高齢者、障害者など労働できないとされる人々や、賃金労働はしているが、それだけでは生活できない人たちを、それより一段劣るものとして、そして労働可能と看做されながら賃金労働に従事していない人々を最も劣るものとして序列化していく。そうした仕掛けを福祉国家は内在化しているのである」(p.56〜57)

福祉に携わる者としては、なかなかにドキッとさせられる指摘である。しかしさらにドキッとするのは、この文章がある同じページに、「ARBEIT MACHT FREI」という文字を掲げたアウシュビッツ強制収容所の写真があることだ。労働を強制し、労働の可否によって人間を序列化することこそ、まさにナチスが行ったことであったのだ。

とはいえ、働かなくてもカネが貰えるなら誰もが働かなくなっちゃうんじゃないの……? とか、誰が食糧を生産したり「汚れ仕事」に従事するの……? というような「お決まりの」疑問をもたれる方も多いと思う。当然、本書には明快な回答も用意されている。その内容をここで全部紹介はしないが、一言だけ言うなら、ベーシック・インカムの導入は、そもそも現在の労働の在り方そのものを革命的に変えるという意味合いをもつのである。

そのため、著しく保守的な日本の政治風土では、理論上どんなに優れていても、ベーシック・インカムが導入されることは難しいだろう。「保守」とは、そうした理念や理想に基づくラディカルな変革より、現行の制度を徐々に変えていくことを好むからだ。著者もそのことは重々承知とみえて、日本でベーシック・インカムを導入するためのいわば「呼び水」として、3つの制度改正を挙げる。それが「年金の税財源化」「児童手当の普遍化・増額」「給付型税額控除の導入」である。

なお、前半2つは、まさに民主党マニフェストに掲げた年金改革案と子ども手当制度に近い。民主党が最終的にベーシック・インカムまで考えていたとは思えないが、いずれにせよ、今の日本の政治は逆の方向に向かっていることになる。唯一の可能性は、公明党が給付型税額控除を提案していたことだろうか……

ちなみに私個人は、ベーシック・インカムという仕組み自体は興味深いと思うのだが、それを実現するほど日本の官僚と政治家の制度設計能力を信用していないので(自治体職員をやっていると、国の官僚の無知と無能は肌身に沁みてわかる)、まあ給付型税額控除を導入、拡充して、事実上のベーシック・インカムを実現するくらいが「落とし所」ではないかという気がする。やれやれ、「労働に脅迫されなくても生きていける世界」の実現には、まだまだ時間がかかりそうだ。