【1599冊目】白川道『身を捨ててこそ 新・病葉流れて』
- 作者: 白川道
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2013/04/10
- メディア: 文庫
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著者の自伝的小説「病葉流れて」シリーズの4作目。
毎度のことながら、自伝的、と言われなければかえってウソ臭さを感じてしまいそうな、主人公・梨田のモテっぷりと無頼ぶりである。大阪で砂押という人物に出会うところから始まり、東京に戻って広告代理店に勤めつつ高レートの麻雀に手を出したり、女に言い寄られてなるようになったりする。
麻雀のシーンでは、強いヤツというのはこういうふうに卓上が見えているのか、と思い知らされたのが、収穫といえば収穫。とにかく、私も含め、素人とは見えているものがまったく違うのである。麻雀はギャンブルの中でも力の差が如実に出る種目と言われるが、本書を読んでその理由がよくわかった。
一方、会社勤めに関わるシーンは、仕事の退屈さと同僚のどうしようもなさに対する絶望ばかりがひたすら際立っていたが、それはそのまま著者自身がサラリーマン時代に感じていた鬱屈なのだろう。まあ、相場で千万単位の儲けを得て、麻雀でも一晩で月給分以上を稼ぐのだから、これでは身を入れて働こうと思う方がどうかしている。だからすぐ辞めてしまうのかと思いきや、案外仕事は仕事でちゃんとやりそうな感じなのがかえって面白い。
それにしても、前にも書いたが、本書を読むとどうしても阿佐田哲也の『麻雀放浪記』と比べてしまう。テーマ的にかなりかぶるところが多いのでやむを得ないとは思うのだが、あの作品と比べられてしまうのは、著者にとっては相当分が悪い。なにしろ私が見るところ、『麻雀放浪記』こそは戦後大衆文学の最高峰なのだから。
例えば『麻雀放浪記』でも、主人公の「坊や哲」が会社勤めをする場面がある。しかし結局、昼は会社に行きながら夜は徹夜で麻雀を打つような日々になってしまい、結局ずぶずぶと元の生活に戻ってしまうのだ。まあダメダメと言えばそうなのだろうが、そこに人間の弱さやどうしようもなさ、同時にしぶとさやしたたかさのようなものを同時に感じさせてくれるのが『麻雀放浪記』だった。
それに比べると、本書の梨田はちょっといい子ちゃん過ぎるかもしれない。焼け跡の中で育った無頼と、焼け跡で生まれ高度成長期に育った無頼の違いだろうか。
しかし、そうは言ってもやはりこの人の小説は魅力的だ。展開がキビキビしていて、出てくる人物がどれも深みと厚みがあって、描写もシンプルだが鮮やかに情景が浮かんでくる。それにしてもこの人、やっぱりカッコイイ。ダンディである。