自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1486冊目】吉田満『戦艦大和ノ最期』

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

読み終えてしばらく、動けなかった。巨大な風穴を、胸のど真ん中にズドンと空けられたようだった。上官への報告文のような、漢字カタカナ混じりの簡潔な文語体で書かれているこの短い一篇に、これまで読んだどんな戦争文学よりも深刻に打ちのめされた。

著者は、かの「戦艦大和」に乗り組み、米軍機の攻撃で巨艦が海の藻屑と消える中、からくも九死に一生を得た。本書はその出港から生還までを綴った一冊だ。

本書によれば、戦艦大和の出撃は、そもそも勝つためのものではなく、必敗を約束された作戦だった。彼らは、米軍の注意を特攻機からそらすための囮だったのだ。「沖縄突入ハ表面ノ目標ニ過ギズ 真ニ目指スハ、米精鋭機動部隊集中攻撃ノ標的ニホカナラズ」(p.42)

だから大和を含めた10隻は、片道分の燃料しか積んでいなかったという。世界無比の巨艦を「捨て石」に使わざるをえないほど、戦況は切羽詰まっていた。

大和の乗組員は、全員、死を前提として出撃していった。いわば大規模な特攻であった。とはいえ乗組員の多くはまだ若い。死を覚悟せよと言われて、すぐできる者ばかりではなかった。許嫁を郷里に残してきた者もあれば、赤子が妻のお腹の中にいる者もいた。著者自身もまた、死を前にして葛藤した足跡を、次のように書いている。これから出航するという時の心境である。

「死ハスデニ間近シ 遮ルモノナシ
 死ニ面接セヨ
 死コソ真実ニ堪ウルモノ
 コノ時ヲ逸シテ、己レガ半生、二十二年ノ生涯ヲ総決算スベキ折ナシ」(p.25)

そして、本書でもっとも凄まじいのは、米軍機の猛攻にさらされ、徐々に艦がその機能を失っていくくだり。攻撃は8波に及び、乗組員は次々と戦死、魚雷により船底が破壊され、艦は徐々に傾いていく。その容赦ない攻撃を描写する著者の筆のあまりの迫真に、読んでいるこちらまで大和の甲板上でのたうち回っているような気がしてくる。

結局巨艦は轟沈、著者を含む多くの乗組員が海に投げ出される。ある者は力尽きて海に没し、ある者はサメの餌食となるなかで、著者はからくも生き延びる。重油の浮かぶ海で生と死のはざまに立った著者の至った境地たるや、なんたる高み、なんたる透徹か。

「コレゾワガ死スベキ窮極ノ時、死ヲ許サレン至福ノ時
 故ニコソマタ果敢ニ生クベキ時」(p.146)

すでにここでは生と死は対立するものではなく、一体のものとなっている。結局、著者は戦後は日本銀行に職を得て、1979年まで生きた。しかしその生は、最期までおそらく死と不可分一体であったように思う。言い換えれば、著者は戦艦大和の沈没と共に一度死に、そして生き残ったのだろうと感じるのだ。

戦争体験記や戦争記録の書は多い。私も今までいくつかを読んできたが、本書ほどギリギリまで無駄なものを削ぎ落とし、その一方で簡素ながら途方もない深みと奥行きを湛えたものは、ちょっと見当たらない。

著者のスタンスは、戦争賛美でも反戦でもない。しかしだからこそ、本書は戦争そのものを、他の誰にも書けないような書き方で鮮やかに描き出した。本書の原型は、終戦翌日、わずか一日で書かれたという。ちょっと信じがたい気もするが、だからこそ著者自身の生々しい経験そのものが、後知恵によってあまり変容しないまま、フリーズドライされてここに封じ込められたのかもしれない。まさしく稀有の一冊である。

特に本書のラスト3行は、いまだに私の胸をとらえて離さない。ああ、読んで良かった。というかこの本、日本人必読である。日本の全高校生に読ませるべき一冊だ。

「徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米
 今ナオ埋没スル三千ノ骸
 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」