【1483冊目】デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』
- 作者: デイヴィッドベニオフ,田口俊樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/12/05
- メディア: 文庫
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原題は”City of Thieves”だが、邦題のほうがずっといい。元々ハヤカワ・ミステリに入っていたのでミステリ作品かと思っていたが、読んでみたら堂々たる戦争文学でびっくりした。
著者自身とおぼしき語り手デイヴィッドが、祖父のレフが17歳の頃に経験したある一週間の話を聞く、というのが基本設定だ。その一週間で、祖父は「祖母に出会い、親友ができ、ドイツ人をふたり殺した」(p.14)。時は第二次世界大戦中の1942年。レニングラードがドイツ軍に包囲され、食糧の供給が断たれ、都市がまるごと飢餓状態にあった頃のことだ。
ドイツ兵の死体を見つけてナイフを盗んだレフは不運にも逮捕され、銃殺刑の代わりに「軍の大佐の娘の結婚式のために、卵1ダースを調達する」という珍妙な命令を受ける。パートナーは、獄中で出会ったハンサムでお調子者の脱走兵コーリャ。かくして飢餓と略奪と暴力が支配する極寒のロシアで、前代未聞の「卵探し」の旅が始まる……。
庶民が餓死しているさなか、娘の結婚式のケーキのために卵を探すという設定自体がずいぶんとブラックだが、しかも探す場所というのが、ナチスドイツに侵攻されているソ連という状況設定がおもしろい。
卵探しというミッション以外にも、コーリャとの軽妙なやりとりを中心に本書にはユーモアがあふれかえっており、シリアスな状況が多少なりとも緩和されている。
このへんのユーモア感覚は、日本と欧米の戦争文学を比べたときに、ひょっとしたらもっとも顕著な違いとして浮かび上がってくるものかもしれない。本書に限らず、いろんな本や映画をみていると、欧米の兵士たちは実に毒舌家で、相当にブラックなユーモアのセンスに長けていると感じられてくる。
『プラトーン』『地獄の黙示録』『プライベート・ライアン』『父親たちの星条旗』等の映画でも、このことはあてはまる。わかりやすい比較でいえば、『星条旗』の米軍兵士の会話を姉妹編『硫黄島からの手紙』における日本兵の会話と比べてみれば、一目瞭然だ。
一見、日本兵のほうが戦争に対して「マジメ」にも思えるが、正確には、戦争に入りこみ過ぎていると言うべきなのかもしれない。欧米の兵士たちの毒舌は、一見ふざけているようだが、どこか戦争というものを突き放したクールな視線をそこに感じる。
そこには軍隊のシステムやそれ以前の国民性の問題など、じっくり考えてみたいテーマがたくさん転がっている。本書の紹介でそこまで書くのは広げ過ぎになってしまうのでこのへんにしておくが、それはそれとして、本書から「戦争におけるユーモアの効用」として読み取れるのは、そうでもしなければ正気が保てないほど、戦争というものが過酷で残虐で救いのない光景に満ちている、ということだ。
本書に出てくる人々はなかなかすさまじい。人肉を室内にぶらさげ、ソーセージにして販売している夫婦。地雷を括りつけられ、戦車の下に「特攻」させられる犬(これと同じことをわが国は人間にさせていたわけだが)。占領した村の若い娘を「慰安婦」に仕立て、逃げ出したら生きたままノコギリで足首を切断するナチスの少佐……。
本書で展開される戦場のリアルな阿鼻叫喚は、読んでいて目を覆いたくなるほどだ。実際、これをマジメ一方の戦争記録として読まされたら、途中でヘキエキしていたことだろう。皮肉なことだが、レフとコーリャの軽妙なおふざけトークでコーティングされていたからこそ、読者はこうした戦争の過酷さをも追体験することができる、というワケだ。
もちろん「ハヤカワ・ミステリ」に入っているだけあって、本書は(ミステリじゃないが)エンタメとしてもよくできている。ラストのナチ少佐アーベントロートとのチェス対戦など、チェスをほとんど知らない私でさえ、あまりのスリリングな描写に惹きこまれた。
戦争体験を語るという結構は百田尚樹『永遠の0』を思わせるが、小説としてのデキは本書が数段上だ。殺伐とした戦争の風景はセリーヌ『夜の果てへの旅』や佐藤亜紀『ミノタウロス』を思い出したが、本書にはユーモアによる救いがある。むしろティム・オブライエンあたりの戦争エッセイに近いだろうか。
いずれにせよ本書は、戦争に対する「語り」をいっさいゆるめずに、そのままエンタメとして昇華した一冊。たぶん戦争文学として歴史に残る逸品だ。ちなみに(ハヤカワ・ミステリだけあって)伏線がいろいろ張り巡らされているので、二度読むことをオススメする。