自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1478冊目】ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』

資本主義が嫌いな人のための経済学

資本主義が嫌いな人のための経済学

いろんな意味で、異色の経済書。しかし、非常におもしろい。

著者が(経済学者じゃなく)哲学者であるというのも変わっているが、もっと妙なのはその立ち位置だ。いわゆる教科書や入門書を除くと、経済に関する本はだいたい二種類に分かれる。第一は、リーマン・ショック以降めっきり旗色が悪くなったリバタニアリズム系の「自由礼賛、規制は最小限に」派、第二はリベラル系の「資本主義を野放しにするな」派だ。

ところが本書は、第一部で前者、第二部で後者を、それぞれにバッサバッサと批判しているのだ。著者に言わせれば、「神の見えざる手」にすべてを委ねようとする右派経済学も、平等のための再分配を過度に強調する左派経済学も、それぞれどこかおかしい。どちらの立場に立つかという以前に、まず経済学の基本リテラシーを身につけなさい、ということになる。つまり本書は、経済をめぐるさまざまな「ヘンな議論」をさばくことを通して、読者の経済リテラシーを鍛える一冊なのである。

本書で取り上げられている右派・左派それぞれの「謬見」には、日本でもマスメディア等で政治家や評論家が主張しているようなものも多く、読んでいるとけっこうびっくりさせられる。

著者の指摘が正当なものだとすれば、世の中に流れる「経済学上の」論説の多くはデタラメのトンデモ理論ということになる。なにしろ、著者がマナ板の上にあげるのは、右派でいえば「インセンティブは重要」「国際競争力が重要」「自己責任とモラルハザード」、左派でいえば「価格は公正であるべき」「同一職種・同一賃金」「平等の重要性」といった「どこかで聞いた主張」ばかりなのである。

その内容をすべて書いていてはキリがないが、ポイントと思われる部分をピックアップすると、たとえば経済の基本とは、たいていの経済活動には「入りがあれば出がある」「消費があれば収入がある」「輸入があれば輸出がある」という点にある。この「ペア」の一方だけを見ている時に、経済をめぐる議論はおかしくなりやすい。

右派のほうから一つ例を上げる。自治体職員としては、やはり気になるのは税金の話だ。「税は高すぎる」とした第4章で、著者は政府が富の消費者、民間が富の生産者であると見なされている現状はおかしいと指摘する。

中でも興味深いのは「増税が経済活力を削ぐ」という、日本でも経団連あたりがよく言う常套句についての指摘。著者はこれを、単に公共財(クラブ財)として提供されるものが私的財として提供されるものに移行するにすぎない、と言う。言いかえれば「学校や医療への支出が減って、車や家への支出が増えるだけ」(p.104)と。

つまり、本来なら、減税すればその分だけ国家からの支出は減るわけだから、福祉産業や教育産業に落ちるカネは減ることになる。これが日本では必ずしも当てはまっていないのは、借金による先食いをしているからにすぎない。ちなみに国家の借金について著者は「国民一人ひとりに、国が消費者金融から借りた金を強制するようなもの」(同頁)と手厳しい。

左派に対する批判のほうでは、平等と再分配をめぐる議論が重要だ。著者は再分配政策自体を否定するのではなく、再分配には「いい再分配」と「悪い再分配」がある、と言う。

先に悪い再分配から言うと、これは「金銭をただ移動させるだけ」の政策が当てはまる。本書でやり玉に挙がっているのはカナダで行われた「ユニバーサル・チャイルドケア・ベネフィット」という施策。カナダは国家保育制度を廃するかわり、子供一人につき毎月100ドルの小切手を支給する制度に切り替えたという。まあ、日本で言えば例の「子ども手当」(児童手当も仕組みとしては同じことだが)のようなものだ。

こうした「シンプルな再分配」の何が悪いか。問題は、これが国による付加価値を生まないことだ、と著者は言う。

本来、金銭の移転にはコストがかかる。税でいえば徴税費用というものが必ずかかっている。本書の説明に沿っていうなら、1ドルの徴税には15セントのコストがかかっており、これを再分配するなら、1ドル15セント以上の便益を生みだすようにしなければならないのだ。右から左に現金を配るだけでは、そのたびに15セント分が持ち出しになるというワケである。

では「いい再分配」とはどういうものか? これは先ほどの逆で、一定の付加価値を伴う分配だ。その例として著者が挙げているのは、保険制度の運営、グリーン税、U2のボノたちが取り組んだ「(RED)ブランド」のような、ステータス・シンボルやブランド品への課税(ボノたちのは大企業による「寄付」だが)等々。

著者がここで口を酸っぱくして言うのが「平等を重視するあまり、効率を軽視するな」ということだ。これが極端まで行くと「レベリング・ダウン」すなわち「平均より下の人に合わせることで、平等を達成する」という方法になってくる。自分より恵まれているヤツを引きずり落とせば「平等」になる、というワケだ。

ここでは、効率を増大させて便益を多く得ようという努力は否定される。なぜなら、こうした便益が均等に分配される保証はないからだ。著者によれば、成長率5%の不平等な社会と成長率0.5%の平等な社会では、16年後には、不平等な社会の全員が平等な社会の人たちより豊かになるという(p.315)。

ここでは効率と平等のバランスが問題になる(もちろんこれは、平等を完全に無視してもよいということでは、決してない)。本書全体を通して感じたのは、こうしたバランス感覚の良さを著者が持っているということだ。そして、世界の複雑さを誠実に受け止め、安易に極端な思想に流れないところも好ましい。

結局、真の「経済リテラシー」とは、こうした世界の複雑さを複雑なまま理解するということなのだろう。そういう「中腰」の姿勢を保ち続けるのはなかなかしんどいものがあるが、耐えきれずに安易な結論に飛びつくのもみっともない。本書には結論らしい結論があるワケではないが、それが経済学(だけではないが)においては「ほんとう」なのかもしれない。

知性の足腰を鍛えるための経済思考トレーニング・ブック。テレビに出てくるエラそうな「経済評論家」の嘘っぱちを見ぬくためにも、読んでおきたい一冊だ。