自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1475冊目】佐藤留美『なぜ、勉強しても出世できないのか?』

読むほどに、耳が痛くて痛くてしょうがなかった。本書に書かれている「スキルアップ教信者」とは、ワタシのことだ。

役所に入って2年目くらいで、仕事に役立つかも、と思って行政書士の資格を取ったあたりまではよかったが、その後がひどかった。2年ほどは司法試験をマジで狙い(法科大学院じゃなく旧司法試験)、何を血迷ったかMBAに鞍替えし、その後も日商簿記中小企業診断士など、資格と名のつくものなら見境なく手を出した。並行して、英語の勉強も1年に1回くらい思い立って始めては挫折の繰り返し。遅まきながら「これって何か違うんじゃないか」と感じ始めたのは、つい最近のことだ。

本書の著者はもともとキャリア情報誌の編集部で、その後はフリーランスのライターとして、この手の「巨大組織を捨て、個人のスキルアップで勝負!」的なノリの記事をたくさん書いてきたという。この方のお名前に見覚えはないが、私もずいぶんその手の記事を読んできた。ホリエモンがもてはやされ、成果主義年功序列を押しのけ、自己責任というコトバが流行し、外資系コンサルがハバを利かせていた頃のことだ。

たしかに当時の雰囲気はスゴかった。「スキルアップ」のために大企業や官庁から転職する若者が増え、資格試験予備校やMBAスクールが花盛り。折しも司法試験制度や公認会計士制度の大改革もあり、まさに官民あげてのスキルアップ盲信時代だった。

ところがその結果はどうだったか。著者は自らの反省も込めてこう書いている。スキルアップ教に踊った人たちのその後を追ってみると、あの頃思い描いたような輝かしい未来を実現した人たちは、驚くほどに少ない」(p.5)

本書はその意味で、90年代後半からリーマン・ショックあたりまで(ひょっとしたら今も続く)日本列島を覆ったスキルアップ幻想」への総括の書といえる。そこに書かれているのは、個のスキルを磨くことが必ずしも報われない、というかやり方によってはかえってその人のキャリアにとってマイナスになってしまうという、身も蓋もない現実である。ちなみに類似商品である「朝会」「人脈交流会」「セルフブランディング」なども本書ではボロクソに叩かれている。

特に読んでおきたい(というか、以前のワタシに読ませたい)のが、勉強しても出世できない理由を9つにわたり列挙した第2章。「エリートは30歳までに確定している」「スキルアップ族の評判が悪い」など容赦ない指摘が並ぶ。さらに「「脱スキル」で幸せな職業人生を作る28の仕事術」と題した第5章も、救いを与えるようなタイトルとは裏腹にグサグサ刺さる。

たとえば「勉強に逃げない」。これは特に受験勉強で成功体験を重ねてきた学歴エリートが陥りやすいワナである。本来、企業でも役所でも、求められるのは、端的に「仕事をする力」つまりは実力だ。これを身につけるには、とにかく自ら仕事をやり、できる人に学ぶしかない。失敗して泥をかぶるなど日常茶飯事だ。

だがこういう「まず手を動かす」という行動パターンこそ、学歴エリートの多くが苦手とする分野なのだ。プライドが高く失敗できない。コピー取りやお茶汲みや力作業などを軽視する。そして現実を直視せず、得意の受験勉強パターンで勝負できる「資格試験」に逃げてしまう。

さらに著者が「脱スキル」として挙げるのが「自分の「顔」に責任を持つ」という、もう小手先ではどうにもならないレベルの「仕事術」だ。この「顔」とは、言うまでもなくイケメンとかそういうことではなく、中身の濃い実体験を重ねることでしか現れない、深みのある人格がにじみ出るような顔のこと。こうなってくると軽薄なスキルアップ教徒には手も足も出ない領域である。だがこれこそが「本当」なのだと、やっと最近わかってきた。

別に本書は資格試験やスキルアップ全否定の本ではない。現実をきちんと認識し、やるべきことをやった上で、真に必要な資格はどんどん取るべきだし、勉強もするべきだ。転職に役立つ資格だってちゃんと紹介されている(「第二種電気工事士」とか「防災管理者」とか)。

要するに著者が言いたいのは「まずは地に足をつけて、ちゃんと社会人をやりなさい」ということなのだと思う。当たり前といえば当たり前の結論だ。でも、これがなかなか伝わらないのだ……「意識の高い」人たちには。ワタシもそうだったから、よくわかる。でも、やっぱりそれじゃ、ダメなんだよねえ。