自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1467冊目】原武史・重松清『団地の時代』

団地の時代 (新潮選書)

団地の時代 (新潮選書)

団地をめぐる、政治学者と作家の対談。ポイントは「立場」より「年齢」だ。原氏が1962年、重松氏が1963年と、著者お二人は同世代。育ってきた地域や環境は違っても、同じ時代の空気を吸ってきた二人ならではの会話を通じて、当時の日本がみえてくる。

まず指摘されるのが、団地住まいの人々の間にみられる「同質性」同調圧力の問題だ。そもそも同じ団地に住むという時点で、住人はすでにある程度の「同質性」を持っている。同じ間取り、同じ学校、同じ路線、同じくらいの家賃、ということは同じくらいの年収。最初から「似た者同士」が集まるのが団地という場所であった。「中流幻想、「みんな同じ」という社会主義的な平等幻想をまさに可視化したのが団地だった」(p.34)と原氏は指摘する。

一方、重松氏はそうした「みんな」が大嫌いだったと語る。とりわけ、安易な多数決による「戦後民主主義」がもっともはびこったのが団地と学校だったという。そういえば、重松氏の小説は、そういう「均質性」「同調性」の息苦しさのようなものを、個人の矜持でもって打ち破っていこうとしているものが多い。「いじめ」問題なんて、まさにその典型だ。

さきほど「社会主義的な平等幻想」という原氏の言葉を紹介したが、実は「団地」と社会主義共産主義は密接な関係をもっていたという。だいたい、あの同じようなコンクリートの真四角な建物がずらりと並んでいる風景自体、いかにも社会主義国っぽいのだが、それは単なる偶然の一致じゃなかったというのである。

驚いたことに、実際に日本の住宅公団は、フルシチョフ時代のソ連で開発された大型パネル工法を導入し、「標準設計」の5階建て団地をどんどん作っていったのだ。団地はソ連産の「ハード」をつかって建てられたのである。その背景には、戦後の住宅不足という日本とソ連が共通して抱えていた課題があった。その解決のためには、大量の住宅を郊外に一挙に供給するのが効率的だったのだ。

もうひとつ、やや意外だったのは、多くの団地で、実際に住民の間に左翼勢力が拡大していったという指摘だった。その遠因となったのは、ものすごい倍率をくぐって団地に入ったは良いものの、ハコだけがあって生活面のインフラが全然整っていないという状況だった。「いざ入ってみると、狭いのはまだいいとして、電話がない、保育所がない、幼稚園がない、小学校が足りない。しかもスーパーの物価が高いというないないづくし」(p.147)だったのだ。

そこに団地住民の特性である同質性と集団性が加わると、自治会をつくって行政や企業に要求をしていくという流れができる。とりわけ、団地入居者はサラリーマンと専業主婦という核家族が多く、仕事に追われるサラリーマンに代わって、専業主婦たちが「運動」の実態を担っていった。その活動内容は、いわゆる左派の活動と多くの共通性を持っていたと著者は指摘する。

さらにいうなら、どうやら共産党などは、意識的に居住者のオルグを図っていたともいわれている。問題意識の高さ、自治会と言う組織の存在、既得権益がないことなど、団地はどうやら組織政党にとって非常に「勝手の良い」ロケーションだったようなのだ(だいたい、チラシをまくのだって、ポストが1か所に固まっているから効率が良いし)。そう考えると、「団地」が衰退し「オートロックマンション」が伸びてきている現状と左派勢力の衰退は、なにがしかの関係があるのかもしれない。

さて、団地が輝いていた「古き良き時代」は、せいぜい1950年代から70年代前半までとされている。今や、団地でも内部の共同性が崩壊し、高齢化が進む中で、孤独死などの新たな問題が顕在化している。

そうなると、今までうっとおしかった自治会活動のようなもの、あるいは隣近所の目のようなものが、今度は逆方向から脚光を浴びることになる。実際、最近はマンションと比較して、団地の自治会活動のあり方が評価されたり、お互いに目の行き届く関係性が大事だ、と言われるようになっている。ここで難しいのは、その匙加減だ。

「「見守る」っていうのと「見張る」っていうのは、表裏一体なわけで。でも、どこかで落としどころを探さなきゃいけないわけじゃないですか。で、その時に四十年、五十年の歴史の蓄積というものが生きてくるんじゃないか」(p.244)と言うのは重松氏だ。氏はさらに「コミュニケーションに支えられているまなざしは「見守る」になるけど、機械に任せると「見張る」になる」(p.245)とも述べている。同感である。

ところで、最後にやや本筋からはずれるかもしれないが、私が本書でもっとも印象に残ったのは、重松氏の次の指摘。

「「子供の教育上」というのがいろんな面で大義名分となって通用していて、今でも通用している。だから、猥雑なものに対して、せっかくここで新しい生活が始まる時にこんなのがあったら嫌だっていうのが、すべて子供のためにという論理で置き替わっているような感じがしてしまうんですよ。そうなると、子供を大義名分にしていろんなものを排除して、子供はいい口実として扱われてきた。その抑圧というものが、子供たちの間に、陰湿な形での、いじめも含めて犯罪を生んでいるんじゃないかなという感じもするんですよ」(p.175)

団地に限った話ではない。「キレイな町」「キレイな団地」なんて、子どもにとっても大人にとっても、たいていロクなもんじゃないのである。しかもそこに、同質性と同調圧力が加わると……。ああ、恐ろしい。