【1397冊目】三浦しをん『仏果を得ず』
- 作者: 三浦しをん
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2011/07/14
- メディア: 文庫
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タイトルだけ見て「仏教小説」なのかと思っていたら、読んでびっくり、なんとこれは「文楽小説」なのであった。恥ずかしながら、文楽なんて数えるほどしか観たことがない(しかもテレビで)ので、入門のつもりで読んでみた。
文楽という、こう言っちゃなんだかいかにも「地味」な世界を小説にするという発想にまず驚いたが、読み始めると一気に引き込まれ、止まらなくなってまたびっくり。イントロが実にていねいなので、文楽の世界にあまりなじみがなくてもすぐ入れるようになっているし、その後は主人公の健や「相方」の兎一郎の魅力にぐいぐい引っ張られ、あっという間に読み終わってしまった。
実はこの人の小説は『舟を編む』以来2冊目なのだが、「舟」の馬締といい、本書の兎一郎といい、浮世離れした変人を描くのがこの人はホントにうまい。というか、つくづく三浦さんはこういう人に「萌える」んだなあ……と。しかも、馬締は主人公だったため変人ぶりがだいぶ薄まってしまったのに対して、本書の主人公はあくまで健。そのため、兎一郎の変人ぶりが最後まで活かされ、物語に強烈なスパイスを効かせている。
青春小説+芸道小説として、筋書きはたいへんシンプルにできあがっている。義太夫の健が師匠の銀大夫、相方(だが技量は数段上)の兎一郎たちにいじられ、しごかれつつ、芸の道を登っていく。
面白いのは、登場するひとつひとつの文楽の演目の内容が、健自身の成長とリンクしているところ。「女殺油地獄」では、あらかじめ定められた生への疑問に行きつき、「本朝廿四孝」では、八重垣姫の恋に自身の恋を重ねる。「心中天の網島」では治兵衛のふがいなさに自分の愚かしさを見出し、「仮名手本忠臣蔵」ではこれと決めたひとつの道に突き進まざるをえなくなった勘平に自分の芸道への覚悟を決める。
ワンパターンといえばワンパターンだが、それにしてもよくできている。のみならず、自分自身と物語の登場人物を「重ね合わせる」ことで芸に深みが出るというのは、ある意味、芸の世界の真骨頂を描いているとも思われる。著者は文楽の世界を単に外側から描写するのではなく、その奥底に手を突っ込んで、芸道の深淵にまで触れようとしているのだ。その気迫が、本書の鬼気迫る勢いを生み、読み手をつかんで離さないのかもしれない。
細かい部分でいろいろ気になる点がなくもない(特に真智との恋愛がいかにも唐突でご都合主義的)のだが、とはいえ、やはり本書は読んでいて気持ちの良い小説であった。それはたぶん、著者自身が文楽を愛し、のめりこみ、その愛着をストレートにこの物語にぶつけているからだと思う。
その「熱中」が物語に勢いを生み、登場人物を生き生きとさせ、読み手をも熱中に引きずり込む。そして読み終わってもしばらくは、健の声と兎一郎の三味線の音が、頭から離れなくなるのである。
実際、私は本書を読み終わると、文楽が観たくてたまらなくなった。特に、今までは人形の動きばかりに気を取られていたが、今度は義太夫と三味線のコラボレーションにじっくり耳を傾けたい。