【1358冊目】兼子仁『変革期の地方自治法』
- 作者: 兼子仁
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/01/21
- メディア: 新書
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著者は以前、同じ岩波新書で『新・地方自治法』という本を出している。1999年の出版だから、ちょうど地方分権改革を踏まえた地方自治法解説の本という位置づけだった。本書はその後の地方自治を巡るいろいろな変遷を追いつつ、地方自治法と地方自治の現在を描き出す一冊。
冒頭、なるほどと思ったのが、「地方分権」「地域主権」をめぐる用語の問題。ここでは、分権か主権かというコトバの問題はもとより、「地方」が「地域」になったことの重要性になるほどと思わされた。
著者によれば、そもそも地方とは「中央」の反対語であり、自治用語としては問題がある。それに対して「地域」は「各自然条件のもとで自立した産業経済、政治行政、文化、歴史を生み出す特色ある人間社会の地理的単位であって、住民と自治体にとって自治の基盤を意味」(p.6)するコトバであり、したがって「地方自治」は本来「地域自治」と呼ぶほうが妥当であると考えられるというのだ。まったくごもっともな指摘であり、こないだ読んだ『地方の論理』の中の福島浜通りの農民詩人、草野比佐男の詩を思い出す。
「東京を中央とよぶな
中央はまんなか
世界のたなそこをくぼませておれたちがいるところ・・・・・・」
そんな「地域自治体」のありかたをラディカルに考えていった結果行き着くのが、自治体のもつ「ミニ国家性」である。その証拠として著者が挙げるのが「刑罰を定めることができる」「課税権がある」「警察が設けられている」という点。もっともこれらについては、それぞれに法律や組織上の限界があるのもまた事実。さすがに、自治体を国家とまで言い切ってしまうのは、ちょっと行き過ぎなのではなかろうか。
それにしても、著者の本を読むのはずいぶん久方ぶりのような気がするが(そもそもそんなに読んできたわけではないが)、なんだか文章がずいぶん「大家然」としてきたなあ、という印象が強かった。松下圭一先生の文章となんだか似ている。歯に衣着せぬというか、怖いモノがないというか……。岩波の編集者も、恐れ多くてあまり手を入れられなかったんだろうなあ、と思わせられる個所も少なからずあった。
もっとも、内容自体はたいへんオーソドックスな地方自治論。国と地方の関係、政策法務のあり方、住民協働の現状と理想、住民訴訟、指定管理者制度まで、いろんなトピックスがバランスよく収められている。
ちょっと残念だったのは、民主党政権以後の「地域主権」論議や独裁型首長の登場、あるいは東日本大震災以後の自治体のあり方などのリアルな現場の状況があまり反映されていないような気がしたこと。「変革期の」とタイトリングしているわりにやや話題が古いかな、という印象は否めない。
まあ、そのあたりも含めて、この著者もやはり「大家」になってきた、ということなのだろう(なにしろ1935年生まれですから、ねえ・・・・・・)。なお、巻末には地方分権改革の流れが年表形式になっており、さらに杉並区の自治基本条例、栗山町の議会基本条例、地方自治総合研究所の地方自治基本法案が資料としてついている。このあたりは岩波編集者の配慮なのだろうか。なかなかありがたいものがある。