自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1329冊目】夏目漱石『門』

門 (新潮文庫)

門 (新潮文庫)

俗に「三四郎」「それから」「門」は三部作と言われる。若き日々の闊達と屈託を描いた「三四郎」のその後が高等遊民を気取る代助の「それから」であるとすれば、本書はそのさらに後、役所づとめの宗助とその妻である御米(およね)を描いている。

特に「それから」と本書は、友人の恋人や妻を奪うというモチーフでぴったりつながっている。そのドロドロの過程を通じて代助が変化していくさまを描いたのが「それから」であるのに対し、本書では二人はすでに結婚しており、過去の三角関係が現在に影を落としている。宗助はまさに代助のその後の姿そのものであり、かつての友人を裏切るようなカタチで御米と結婚し、それがために世間から非難され、二人ひっそりと暮らしている。

過去の秘密を共有するがゆえに、二人の結びつきはとても強く、夫婦喧嘩もほとんどしないような状態だ。二人は世間とほとんど没交渉で、わずかに隣家の大家である坂井と付き合いがある程度。にもかかわらず、皮肉なことにその坂井は、かつて宗助が裏切った友人である安井と縁が通じているのだ。安井と引き合わされそうになる宗助は、悶々と悩んだ末、なんと禅寺に籠り、修行の日々という名の逃避の日々を送るのである。

全編を通じて印象的で忘れがたいのは、暗い家でひっそり暮らす宗助と御米の姿。「脛に傷もつ」とは古い表現かもしれないが、彼らの暮らしぶりはまさにそんな感じ。結局、二人とも最後まで外に視線を向けることもないし、過去に直面し、過去と対決することもない。二人とも、そうしたことを深く深くあきらめているのが分かる。

そしてそれって、柄谷行人氏が解説で指摘しているとおり、青年ではなく「中年の人生」の感覚だと思うのだ。さまざまな過去の暗さを引きずり、罪を背負い、そんな中で仕事と家庭を営む淡々とした悲哀。「希望」より「あきらめ」が人生のパーセンテージの多くを占め、そんな限られた領分を守ることで精一杯の日々。それまでの人生の負債にすっかりがんじがらめになり、フィールドが限定されてしまっている中での生活。

そして、そんな本書がすっかり身につまされてしまった私自身もまた、理想と虚勢にまみれた代助の生活から、現実的で諦念に満ちた宗助の生活、つまりは中年ライフにさしかかってしまったのかもしれない(そういえば本書、大学生の頃にも読んだのだが、あまりピンとこなかった記憶がある)。つまり本書は、中年のための……と言って悪ければ「オトナのための」漱石なのである。そしてこれ以降の作品も、たぶん。もう「坊っちゃん」や「三四郎」の年じゃないなんて、ちょっと寂しい気もするが。

三四郎 (新潮文庫) それから (新潮文庫) 坊っちゃん (新潮文庫)