自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1304冊目】今村夏子『こちらあみ子』

こちらあみ子

こちらあみ子

太宰治賞を受賞した表題作に、書き下ろし「ピクニック」を加えた一冊。

「こちらあみ子」は、とにかくあみ子が、イタい。給食のカレーを手で食べたり、授業中に歌ったりふざけたりと、ウケ狙いの奇行をすればするほど、あみ子は周りから浮き上がり、バカにされ、避けられる。しょっちゅう先生や親から怒られているが、なんで怒られるのか、本人はまったく理解できない。ただ、何かをやらかしてしまったあとに、「結果として」大人を怒らせてしまったことに気づくのである。

そのイタさが最悪のカタチで出てしまうのが、義母の死産。懸命に明るく、何事もなかったかのように振る舞う義母の前で、あみ子はあろうことか「弟の墓」の墓標をつくり、誇らしげに見せるのである。ペットが死んだ時にはお墓をつくってあげたのだから、今度もそうすればお母さんがよろこぶに違いない、と思って……。結果はいわずもがな。義母はウツ状態になって部屋にとじこもり、兄はグレてしまい、家族は崩壊する。

「空気が読めない」ことがこれほど嫌われる世の中で、あみ子のような女の子がふつうに生きていくことはむずかしい。あみ子が家族から引き離され、祖母のもとに預けられるところで、この小説は終わる。あみ子の、おそらくは決して明るくない未来が示されないのは、せめてものお情けか。

もう一篇の「ピクニック」もまた、タイプは違うが、大人になった「イタい女の子」の話。ただ、コチラは周りの女の子たちが、七瀬さんというその女の子(というか女性)をかばい、その妄想に付き合ってあげるので、なんとなく読んでいて救われるものがある。そして、七瀬さんをかばっている女の子たちもまた、どこか弱さを抱え、かばうことによって自分自身も救われているのかもしれない。そんなことを、読みながらなんとなく感じた。

それにしても、この著者はいったい何者だろう。1980年広島生まれ、ということしか分からないが、この人物造形や描写の巧さ、文章のリズムや読みやすさ、タダ者ではない。「雨が降った翌日は、足の裏を地面から引きはがすようにしてあるかなければならないほどぬかるみがひどかった表の庭に通じる道も、昨日丸一日の快晴のおかげで今朝は突っかけたサンダルがなんの抵抗も受けずに前へと進む」なんて、一見どうってことないように思えるけど、さりげない巧さがある。ひらがなと漢字の按配やリズム感、読点の絶妙な位置、誰でも書けるようで、なかなかこうは書けないものだ。筋の運びも心理描写もこなれていて、次作がたのしみな作家さんだ。