自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1246冊目】今中博之『観点変更 なぜ、アトリエインカーブは生まれたか』

観点変更 ?なぜ、アトリエインカーブは生まれたか

観点変更 ?なぜ、アトリエインカーブは生まれたか

少し前に読んだ『つながりのコミュニティ』という本に紹介されていた「アトリエインカーブ」が気になって、創設者が書いた本書を読んでみた。

本文より前に、カラーの口絵にぶっとんだ。アトリエインカーブに所属する寺尾勝広、湯元光男、吉宗和宏、新木友行、武田英治の5人の作品がずらり並んでいるのだが、これは、すごい。特に寺尾氏の稠密で圧倒的な「いろんなてつのデザイン」、マレーヴィチのシュプレマティズムを思わせる吉宗氏の「しかく」、文字をアートに見事に取り込んだ武田氏の一連の作品には、一気に胸を撃ち抜かれた気分。

念のため言っておくと、彼らはすべて「障がい者」(ここでは本書にならい、原則として「障がい」と書く)である。そもそも、これらのアートが生まれた場所であるアトリエインカーブ自体、位置づけとしてはいわゆる福祉施設(指定生活介護事業所)にあたる。しかし、「アーティストが障がいをもっている」からといって、「障害者アート」「アウトサイダー・アート」としてひとくくりにする必然性が、いったいどこにあるのか。彼らの作品を虚心に見れば、おそらくそう感じる人は少なくないと思う。

ところが、先入観というのは恐ろしい。彼らの作品を最初に見た学芸員は、なんと「歴史的な文脈がなく、評価できない。私自身の意見は言えない」(p.146)と言ったというのである。また、マスコミは彼らのアーティスト活動を「頑張っている障害者」「アートで生きがい作り」(p.144)として、障害者福祉の視点でしか語らなかった。最初に彼らのアーティストとしての力量に目を止めたのはアメリカのギャラリスト、フィリスだったが、それも障がい者のアート「アウトサイダー・アート」としてだった。

本書は、自らも身体障がい者である著者が、乃村工藝社のデザイナーを経て障がい者の芸術活動の場としての福祉施設「アトリエインカーブ」を立ち上げ、運営する過程を綴った一冊だ。そのプロセスは、さまざまな対立概念や矛盾に引き裂かれつつ、どうにかこうにかそこを乗り越えることの連続だった。

そもそもアトリエインカーブが、福祉の場であると同時に芸術活動の場であるという、たいへん奇妙なポジションにある。さらにアトリエに所属する25人のアーティストのうち、注目される5人(上に名前を挙げた5人だ)とそれ以外の20人の間にも、深刻な格差が広がった。他にもいろいろな矛盾や対立が、この場所には山ほど詰まっている。

本書の魅力は、そうした矛盾や相克の中で著者自身が考え抜き、悩み抜き、それを超える視点や思想を得るまでの過程が、セキララに綴られている点だろう。著者は実際、その時々の「思考の格闘」の形跡を隠さない。悩み、ゆらぎ、その中で決断してきた自分自身の苦闘をさらけ出す。そして、本書の真価はまさにその悩みやゆらぎにあるように思う。特に福祉の現場、あるいは「福祉と芸術」のはざまで悩む人にとっては、ほかに代えがたい道標となり、バイブルとなるのではなかろうか。

そもそも「障がい者によるアート」という場合、多くの人は二通りの反応を示すのではないだろうか。一つ目は先ほどのマスコミの反応例のような「福祉関係者の視点」。その場合、アートは福祉活動の一貫として捉えられ、芸術性の部分は見過ごされてしまう。二つ目は「障がいがあろうがなかろうが、アーティストとしては同じ」という視点。その場合、今度は芸術性のほうはフェアに評価されるかわり、福祉の観点がすべりおちる。

ところが、著者はこのどちらの見方にも服さない。むしろ「『障がいがあるからこそ』偉業はなされる」(p.283)と著者は言う。障がい者は、健常者と比べてたしかに一部の能力は劣っている。しかし「劣っていることがあれば、それを代償する能力が必ず存在する。障がいがあるがゆえに、障がいがない場合には生じ得ない能力を天から授かっているはずである。それは自然の摂理である」(p.285)と。ここでは、障がいの存在はハンディキャップではなく、むしろアーティストとしてのアドバンテージとなっている

こうした視点を最も欠いているのは、皮肉なことに、どうやら福祉関係者自身であるようだ。伝統的な福祉の視点では、障がい者は「庇護されるべき存在」「指導されるべき存在」であり、福祉関係者の一部は、無意識的にせよそうした「庇護者の目線」で対象者を見てしまうらしい。アトリエインカーブでライブアート(アーティストが観客の目の前で作品をつくりあげるライブパフォーマンス)を実施した時には、「猿回しの猿のようで不快」という意見が福祉関係者から寄せられたという。その人には、アーティストが「障がい者」に見えていたのだろう、と著者は言う。

もちろん、障がい者であって同時にアーティストなのだから、障がい者に見えること自体が悪いわけではない。問題は、障がい者が同時に(それゆえに)すぐれたアーティストたりうるということに、その福祉関係者が思い至らなかったことだと思われる。福祉関係者がアトリエを見学に来ると、多くが次の3つのコトバを口にするらしい。それは「この子」「○○させる」「一般的なコト」の3つだという。このような視点では、彼らの中からアーティストとしての優れた(きわめて非・一般的な)才能を見出すことなど不可能なのではなかろうか。

福祉っていったい何なのか、芸術っていったい何なのか、という二つの問いが、お互いの光で照らされているような、不思議といえば不思議な一冊だ。特に福祉に携わる人は、自分自身のバイアスを知るためにも、一度読んでおいたほうがよい(私は本書を読んでずいぶん目からウロコを落としてもらった)。そして願わくば、アトリエインカーブのアーティストたちの展覧会を、ぜひまた東京でも開いていただきたいものだ。

つながりのコミュニティ――人と地域が「生きる」かたち