自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1215冊目】高田宏『言葉の海へ』

言葉の海へ (洋泉社MC新書)

言葉の海へ (洋泉社MC新書)

この間読んだ『博士と狂人』は、英国の辞書のハナシだった。そこで気になるのは、では、日本ではどうだったのか、ということだ。

実は、日本にもスゴイ人がいたのである。大槻文彦。わが国で初めての近代国語辞典と言われる『言海』を、ほぼ独力で17年かけて編纂した人物だ。本書はその生涯を、近代日本の幕開けと重ね合わせて描き出した伝記文学。1978年に単行本が刊行されて大佛次郎賞と亀井勝一郎賞を受賞、その後84年に文庫化、2007年に新書化されている。文庫化されたものがさらに新書化されるのはちょっと珍しいが、それだけ多くの人に支持されているロングセラーなのである。

本書の幕開けは、明治24年の『言海』出版記念祝賀会。芝紅葉館で行われたこの催しには、伊藤博文枢密院議長をはじめ、榎本武揚外務大臣加藤弘之帝国大学総長ら、当時の日本でトップを占める錚々たる顔ぶれが揃ったという。たかが一冊の辞書の刊行パーティとは思えない威容であるが、そのこと自体が、この辞書が日本にとってどれほど重要な存在であるか、ということのあらわれなのだ。

思えば、OED編纂の背景にあったのは、世界支配の道具としての英語を確立することであった。『言海』編纂の支柱となっている思想もまた、一国の独立の「基礎であり標識」としての言語を統一するという、きわめてナショナリスティックな使命感である。言葉と国家意識がどれほど表裏一体のものであるかを、OEDのマレーやマイナー、『言海』の文彦は熟知していたに違いない。だからこそ、これほどの心血をそこに注ぎ込むことができたのだろう。

「近代国家には近代国語辞書が要る。一国の国語の統一は、独立の基礎であり標識である。それなくして一民族たることを証することは出来ぬ。同胞一体の公儀感覚は持てぬ」(p.13)

そして文彦の場合、面白いのは、その志が文彦個人にとどまらず、その父や祖父から脈々と受け継がれたものであるということだ。そもそも文彦の祖父は、かの大槻玄沢なのである。『解体新書』を訳した杉田玄白前野良沢から一字ずつをもらい、彼らを継ぐ蘭学の第一人者として名を馳せた人物だ。そういえば、玄沢の著書『蘭学階梯』は日本初のオランダ語入門書であり、辞書と文法書を兼ねるものであった。まさに文彦の偉業を先取りしたかのような事績である。

その息子、つまり文彦の父が大槻磐渓。玄沢や文彦ほど有名ではないが、この人物もなかなか面白い。蘭学を志したのは父と同じであるが、大きく異なるのは、彼の青年〜壮年期が、外国船が頻繁に出没し、ついにはペリーの来航にいたる幕末動乱の時期にぴったり重なっていたこと。それもあって、磐渓は西洋の学術を学ぶだけではなく、自ら海防論を論じ、西洋砲術を学び、攘夷論に抗して開国を強く主張した。さらに、戊辰戦争では仙台藩として東北諸藩側、つまりは幕府側について戦ったのである。

このあたりの、洋学への傾倒と開国を前提としたリアルな国家観、国際感覚は、子の文彦に多大な影響を与えた。だいたい、戊辰戦争や、その後の磐渓投獄の折、文彦は影響どころか、子として行動を共にしていたのだ。そして、文彦自身も後に『北海道風土記』を著して対露問題を論じ、小笠原諸島琉球、さらには竹島についても問題提起を行っている。こうした父ゆずりの国際感覚とナショナリズムの混淆が、後に祖父から受け継いだ洋学の素養や言語感覚と合流し、辞書の編纂という形で国語の統一に向けて流れ込むのである。

辞書の編纂プロセスについても、意外な話がいろいろ書かれている。読んでいてびっくりしたのは、この辞書編纂プロジェクト、最初は学者数人のチーム制でスタートしたものの、3年もかけて喧々諤々の議論ばかりでほとんど作業が進まなかったため、若手(当時29歳)の文彦一人に任せることになったというくだり。当時の文部省の役人だった西村茂樹の英断であった。

そして、その期待にこたえて大槻文彦はみごと辞書を完成させるのだが、ひどいことに、文部省はその原稿を数年にわたり塩漬けにし、あろうことか「自費出版なら」と「稿本を下賜」したというのだから、これまたびっくりである。このあたりは文部省も何を考えているのかよくわからない。事業の意義がなくなったというならともかく、それなら本書冒頭に書かれている芝紅葉館での盛大な出版記念祝賀会は何だったのかということになる。もっともそのあたりは、文彦自身は出版できるなら自費でも構わないといった様子だったらしく、それほど突っ込まれてはいない。

ちなみに、辞書づくりのプロセス自体が本書に占める割合はそれほど大きくない。むしろこの本は、大槻家三代の歴史と近代日本の成立を重ね合わせ、その過程を言葉の確立という側面で切り取った作品というべきであろう。そういえば、誰かが本書を『坂の上の雲』に例えていたが、その気持ちもわかる気がする。大槻文彦の人生も、司馬遼太郎が小説化していてもおかしくないくらいの熱意と波乱万丈と奥行きを備えている。そう考えると、本書が文庫や新書に姿を変えながらこの人物の生涯を今に伝え続けているのも、とってもわかる気がする。

言海 (ちくま学芸文庫) 博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF) 新装版 解体新書 (講談社学術文庫)