【1159冊目】ディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』

- 作者: ディーノブッツァーティ,Dino Buzzati,脇功
- 出版社/メーカー: 松籟社
- 発売日: 1992/01
- メディア: 単行本
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何もない人生。何事も起きない人生。
考えようによっては、これほど恐ろしいものはない。
本書の主人公ドローゴは軍人だ。最初の任地バスティアーニ砦は、北に広がる砂漠からやってくる「かもしれない」タタール人の襲来に備えるためのものだ。砦の日々は平穏で、退屈だ。何も起きない日が続く。しかしドローゴら、砦に配属された連中は備え続ける。いつの日かタタール人たちが北の砂漠からやってくるのを、ひたすら待っている。
10年、20年、30年・・・・・・。本書で描かれるドローゴの人生は、まさに「何も起きない」日々である。砦を去るチャンスを失い、自ら外に飛び出す勇気も持てないまま、ドローゴの人生は空費されていく。妻も子もなく(砦に住み込んでいるので、一緒に生活もできないし、そもそも出会うチャンスがない)、ただひたすら青年から壮年にかけての日々は失われていく。気がつくと、ドローゴはすでに年老いて、病を抱え、砦から去らざるをえなくなっている。そして、なんたる皮肉か、まさにその時になって、タタール人の軍勢が砂漠の果てから現れるのだ。
私小説は例外として、たいていの小説は、「何かが起きる」ことで物語が進んでいく。そこにドラマがあり、登場人物の人生がある。しかし本書は、なんと「何も起きない日々」そのもの、「何も起きなかった人生」そのものを描いてしまったのだ。
この本を読み終えたとき、私はぞっとした。私にとっての役所勤めは、果たしてこのバスティアーニ砦の日々と何が違うというのだろうか。いや、いったい何人の人が、自分の人生がドローゴとは違うと言い切れるだろうか。いったい何人の人が、「いつか何かが起きれば、私は活躍できる」と信じ、そのための準備に日々を費やしつつ、何も起きないままの人生を終えていったことだろうか。
そういう意味で、この本はとてつもなく「怖い」一冊である。自分の人生に疑問を抱いている人は、読まないほうがいいかもしれない。