【1064冊目】柳澤桂子『いのちと放射能』
- 作者: 柳澤桂子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/09/10
- メディア: 文庫
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「何を」言うか、ではなく、「誰が」言うか。
今回の原発事故に関しては、新聞や雑誌、テレビに書籍と、とにかくいろんな人がいろんなことを言っている。そのこと自体は、政府発表一色になってしまうよりよっぽど良いことであるとは思うのだが、同じ事象を相手にしてここまで意見がバラけると、内容だけを見ていても真偽が判別できないのが困る。
仕方がないのでそういうときは、「誰が言っているか」を基準にせざるをえない。本書の著者は、そういう選び方でいくと、私が絶大な信用をおいている人のひとり。
その理由は、第一にこの人は「生命科学」の専門家であるからだ。いや、原子力工学の専門家が信用できないというワケではないのだが、判断の基準の置き方を考えたときに、たとえば放射線の人体への影響を判断する場合、工学的な視点で見るのと、生命科学の視点で見るのとは、判断の基準が違ってくると思うのだ。
ましてや、過去の原発行政が「原子力工学者」の後押しで進展してきたことも考えると、申し訳ないが、彼らの言説にはいまひとつ信頼が置けない。だからといって、こういう問題となるとシロウトのルポライターや作家でもちょっと困る。やはりサイエンスの基礎的な素養を持っている方であってほしい。しかし残念ながら、放射能と生命の関係について正面から書いた著作がある生命科学者は、実はほとんど見当たらないのだ。本書はその意味で希少種である。
そして理由の第二は、この方、ご自身の過酷な闘病経験もあり、「いのち」を尊重するという点で思想に一本心棒が通っている方であるからだ。だから現実の事態によって、判断の基準がカンタンにぶれることがない。私は、原子力発電の問題とは単にリスク計算の問題ではなく、ましてや経済とか政治の問題にはとどまらない、自然と文明をめぐるひとつの思想の問題であると考えているのだが、そうした思想の面と科学の面、両面からしっかりと原子力について語れる人物といえば、ひょっとしたら今の日本国内ではこの人が唯一かもしれないと思うのだ。
前フリが長くなったが、そういうわけで読んだ本書は、予想通りとはいえ、かなり原発に「辛め」の内容であった。まずDNAの基本的な解説からはじまり、放射線が遺伝情報に与える影響、大人より子供のほうが放射線の影響を受けやすい理由と進み、淡々と事実を積み上げていくだけなのだが、一度読みだすと途中でやめられなくなる静かな迫力がある。
分からないことは率直に「分からない」と認めるいさぎよさもある。しかし、思えば「分からない」ことこそ一番おそろしい。例えば、ある程度の放射線を浴びたことで将来ガンになる可能性はある程度推計できるが、実際に何人がガンになったかは「分からない」。今回の原発事故にしても、退避基準や学校の使用基準がいろいろ言われているが、その判断が正しかったかどうかは、厳密な意味では、未来永劫、誰にも分からないのだ。なぜなら、実際にある人が数十年後にガンになったとして、それが原発事故由来のものであるかどうかは判別しようがないのだから。
だから著者は「人間は原子力に手を出してはならない」と明言する。それは単なる経済や政治の都合ではなく、生命という思想から発した叫びであると思う。内容についてあまり触れられなかったが、ぜひ一読いただきたい一冊。できれば中学生か高校生の副読本にしてほしい。