自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1054冊目】東日本大震災 レンズが震えた 世界のフォトグラファーの決定版写真集 (AERA増刊)

言葉を失う。


同時に、何かを語れる気になっていた自分を恥じる。


3月11日のあと、数日間、テレビに映し出される想像を絶する光景の前に、やはり言葉を失った。何をしてよいのかもまったくわからず、すがるように引っ張り出した『方丈記』と『パンセ』の一節を、叩きつけるように書いた。


周囲の人々もまた、言葉を失っていたようにみえた。マスメディアも、いつもの軽薄な上から目線は影をひそめ、いつになく謙虚な言葉を並べていた。


しかし徐々に、語られる言葉がかまびすしくなってきた。安全なところから現場を断罪する人々、自分の党利や保身から言葉を発する政治家、被災者に無神経にマイクを突き付けるリポーターなどが目立ってきた。言葉が出てくるということは、前に進んでいるということなのかもしれない。だが、震災の日からわずか50日ほどで、われわれは早くも、何かを置き忘れたまま進もうとしているような気がしてならない。


この写真集に刻まれているのは、その「何か」に通じる「何か」であろうと思う。言葉を失うことにも、意味がある。その先にあるものを捉えようとするには、いったんそこを通らなければならないのだと感じる。写真の力、などという、陳腐な言葉を使いたくはない。しかしここにあるのは、まぎれもなく、写真でなければできない一種の偉業である。


技巧を凝らした写真には、かえってその技巧に嫌らしさを感じる。むしろ押し寄せる津波を撮った「シロウト」の写真にこそ、鈍器で殴られるような現実の力を感じる。プロの写真家とは何か、写真を撮るとはどういうことか。そんなこともまた、この写真集は考えさせる。現実の力が圧倒的にすさまじいだけに、その前に立った人間の「弱さ」こそが試されているのだと、思う。


いかんいかん。また「何かを語る」モードに入ってしまっている。このあたりでやめておこう。だが、最後に一言だけ言いたい。戦後の日本が戦争の焼け野原から始まったように、これからの日本は、ここに映し出されたがれきの山から始まるのだ。まさにこの光景こそが、われわれの原点になるのだと、深く感じる。