hachiroetoの読書ノート

この世の片隅でこっそり書き続けています。一応自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【1039冊目】高村薫『神の火』

神の火 (新潮ミステリー倶楽部)

神の火 (新潮ミステリー倶楽部)

高村薫初期の大作。原発技術者で元スパイの島田を主人公に、孤独な男たちの闘いを描く。

スパイというやや現実離れした設定と、リアリティを徹底的に追求した描写のマッチングが面白い。前半、登場人物の背景や関係が少しずつ明かされていくあたりは、全体像がなかなか見えない中、それでも著者の筆力に引きずられるように読み進むような感じだったが、物語が一気に動き出す後半になると、俄然、読むのがやめられなくなる。初期の作品のためか、やや入れ込みすぎとも思える部分もあるが、その分、一行一行がエネルギーに満ちているのを感じる。

この作品をハードボイルドと呼ぶべきかどうかわからないが、浮世離れした「男の美学」的な世界ではなく、泥臭く(ホントに臭気まで漂ってきそうだ)生活感あふれる男たちのリアルな日々と心象風景が圧倒的。島田やその相棒となる日野、彼らがかくまう良や島田の師匠格である江口。誰もが孤独と虚しさを抱え、しかしそれを受け止めて生きている。本書のクライマックスは原発襲撃というとんでもないものであるが、その動機も金や名誉といったものではなく、むしろ彼らの心の美学のようなものの結実が原発につながっている。そこがもっとも心を揺さぶられるところであり、場合によってはこの小説のもっとも分かりにくい部分となっているように思う。

そして、原発である。制御棒、格納容器、タービン建屋などなど、本書では、今やニュースなどですっかりなじみとなってしまった「原発用語」が続出する。見方によっては、本書は原発という堅固な要塞の「もろさ」を描いたものであると言えるかもしれないが、その告発が20年後にこんなカタチで実現してしまうと、いったい誰が予想しただろうか(本書の初版は1991年)。いや、本書で告発されているような原発の「あやうさ」を隠し、見ないふりをしてきたのが、現代の日本であったのかもしれない。命をかけてその告発を行った島田や日野は、ある意味究極の愛国者であるというべきなのかもしれない。

原発に限らず、問題を先送りして見て見ぬふりをする日本人の姿を、著者は本書の中で何度も手厳しく取り上げている。印象的だったのは、江口が島田に語る次の言葉だった。この怒りが、今後の高村文学に続くエネルギー源となっているのかもしれない。。

国民主権というが、国民の選んだ政治家が、外国から金貰って言うなりになっている国がどこにある。労働団体も社会主義政党も同じ。冷戦構造なんか言い訳にならない。日本人が自分の国と意識するに足る主権を持ってこなかったのは、全部日本人の責任だ。自分で考えず、自腹を切らず、責任も取らず、自分の懐だけ肥やすような国民に、自分の国が持てるはずがない。」

ちなみに「神の火」とはまさしく原子力の「灯」のことだが、ギリシア神話では、ゼウスのもとから火を盗んで人類に与えたプロメテウスは、岩山に鎖で繋がれて毎日ハゲタカに内臓を食われる(プロメテウスは不死なので内臓は毎日再生する)というすさまじい罰を受けた。現代の「神の火」をもてあそぶ人類は、いったいいかなる罰を受けることになるのだろうか……。