【954冊目】フョードル・ドストエフスキー『永遠の夫』
- 作者: ドストエフスキー,千種堅
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1979/07/03
- メディア: 文庫
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たいした話じゃないと言えば、たいした話じゃない。しかし、ここに書かれた二人の男の心理の襞と澱みの深さはどうか。コミカルなタッチの中に、「永遠の夫」トルソーツキーの悲哀が光る。
『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』、『悪霊』やこないだ読んだ『白痴』などの「ヘビー級」の作品群に比べると、こちらは軽量級の仕上がり。プライドが高く、抱えている訴訟の行方に悶々としている語り手のヴェリチャーニノフと、淫乱で奔放な妻の「夫」であり続けるしかなかった「永遠の夫」トルソーツキー。しかも実は、ヴェリチャーニノフ自身もトルソーツキーの妻の浮気相手の一人であり、産ませた子供のリーザを、妻の死後、トルソーツキーは一人で育てているのである。
肝心の妻はすでに亡くなっており、残されたトルソーツキーはどうやらリーザにひどい仕打ちをしているらしい。そこに登場するヴェリチャーニノフはリーザをトルソーツキーから引き離して別の養育先に預けるのだが、結局リーザは病死してしまう。読んでいるうちはリーザをいじめるトルソーツキーに腹が立つが、後から考えてみると、むしろヴェリチャーニノフのやっていることのほうがずいぶん身勝手に思える。
この小説ではとにかくトルソーツキーが徹底的に卑屈で嫌われ者の、どうしようもない存在に描かれる。しかし、読み終えて感じるのはむしろそんなトルソーツキーへの憐憫の情であり、むしろ自分の立場や才覚を鼻にかけて、トルソーツキーをあしらうヴェリチャーニノフに対する反感だった。
特にトルソーツキーが意中の人のいる家族を訪ねるシーンでは、一緒に行ったヴェリチャーニノフが人気者になってしまい、トルソーツキーのほうはさんざんからかわれ、のけ者にされてしまう。その哀れなこっけいさが読んでいる最中はコミカルで笑えるが、考えて見ればヴェリチャーニノフこそ自分勝手で嫌な奴だ。そのあたりの「ずれ」が、物語のラストに行くにつれて徐々に収斂し、思いもかけないラストシーンにつながっていく。
圧倒されるような巨大小説群とは違うが、その心理描写の細かさ、特に人間の「いやなところ」の襞に分け入り、あからさまに照らし出していくところはさすが天下のドストエフスキー。あと、「永遠の夫」というから妻に翻弄される哀れな夫を描くのかと思いきや、なんと妻は最初から死んでいるというのが意外だった。タイトルはややとっつきづらいが(訳者自身も指摘しているように「万年亭主」あたりにしたほうが良いかもしれない)、展開は分かりやすく読みやすい。ドストエフスキーと言えば深刻で暗ーい作品ばかりと思われている食わず嫌いの方には、一読をお薦めしたい作品だ。