【920冊目】細川護熙『不東庵日常』
- 作者: 細川護煕
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2004/05
- メディア: 単行本
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元首相の、シンプルで優雅な「残生」の記録。しかし、こんな風雅な「隠遁」の日々こそが、これまでの日本の文化を支えてきたのではなかったか。
生涯学習も「第二の人生」も悪くはないが、こういう「隠居」もよいものだ。湯河原の山中にある小さな「庵」での、陶芸に遊び、本を読み、書をしたためる毎日。一時は内閣総理大臣として、文字通り「位人臣をきわめた」細川護熙氏が、60歳で政界を引退した後の日々である。引退した後もギリギリまで影響力を行使しようとする政治家も少なくない中で、その引き際は実に鮮やかだ。
こうした身をひるがえすような「隠遁」、その場になって突然思い立っても、なかなかできるものではない。それこそ幼少期からの文化的な蓄積に加え、価値観を世俗の栄達のみに置くのではなく、どこかで別のベクトルを向いた価値観を、複線的に持ち合せていなければならない。お金儲けや立身出世だけが人生の目標だと100パーセント本気で信じているような人には、こういう生き方は向いていないと思う。たぶん、隠遁生活を楽しめるような人は、政治や経済の世界でバリバリ働いていても、どこかに「冷めた」感覚があるのではないか。
そういう感覚を、これまでの日本の文化は一貫して育んできたように思う。仏教の出家遁世はまさにそうだし、『方丈記』や『徒然草』も同様だ。西行や良寛、兼好法師や鴨長明、あるいは芭蕉や蕪村などが、そうした感覚を代表する人々だろう。究極のルーツは、おそらく中国の老荘思想にあるはずだ。
また、江戸時代の商家などでも、主人が壮年のうちに家業を息子に譲り、早々に「御隠居」として風雅と文芸の世界に遊ぶ、という風習が広く存在していたらしい。日本の文化の中には、こうした「御隠居たち」によってはぐくまれてきた側面もあるように思われる。
本書の例を「金持ちの特例」と割り切ってしまうのは簡単だ。しかし、「隠居」と「隠遁」の意味合いを、「生涯教育」と「生涯現役」の時代にあって、あえてもう一度見直してみるのもよさそうだ。少々気が早いが、細川元首相といろんな点で「似たもの同士」だった鳩山さんなど、どうだろう。案外「隠遁ライフ」も楽しいかもしれませんよ。