【915冊目】五木寛之『親鸞』

- 作者: 五木寛之
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/12/26
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 55回
- この商品を含むブログ (45件) を見る

- 作者: 五木寛之
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/12/26
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (30件) を見る
末法の世と言われた中世の日本を舞台に、悩み、苦しみつつ成長するひとりの人間としての親鸞を生き生きと描く。面白く、やさしく、深く、真摯な小説。
8歳の少年忠範が「親鸞」となるまでの軌跡をたどる。比叡山にいったんは入山して当時の僧としての「エリートコース」を前にしつつも、山を降りて市井で教えを広める法然に帰依して自らも山を出て、悩みや苦しみにぶつかり、成長する親鸞。その姿を通して、読者はいつの間にか、法然や親鸞の教えの奥深さに触れている。
仏教の使命とは何か、念仏のみによって救われるとはどういうことか、悪人であっても(あるいは悪人こそ)救われるとはどういうことか。知を捨てるとは、「選択(せんちゃく)」とは……。それはそのまま、『選択本願念仏集』や『嘆異抄』の思想の奥行きであり、深みである。一見逆説的で、難しい経典や研究書ではなかなか理解しがたい法然や親鸞の教えが、小説の中に見事に組み込まれ、実例として目の前に迫ってくる。
そういうとずいぶん堅苦しい小説のようだが、まったくそんなことはない。エンタメとしても一級品で、特に登場人物に華がある。当時のアウトサイダーである「遊行の者たち」の強烈な魅力、悪の権化のような「黒面法師」の凄み、昼は召使いでありながら夜は博打場を開帳する「犬丸」とその妻の「サヨ」など、いずれも一癖も二癖もあるキャラクターばかり。実在の人物を扱った物語でここまでやっていいかしら、と心配になるほど、親鸞自身を含めて彼らが縦横無尽に末法の日本を暴れまわる。ちなみに個人的に印象に残ったのは、犬丸とサヨの夫婦であった。
しかし、もっとも魅力的だったのは、親鸞の師である法然の存在だ。今では、親鸞の放つ光があまりに強烈で、法然の存在は得てして忘れられやすいように思うのだが、本書を読むと、法然あってこその親鸞であったのだ、ということが如実に感じられる。当時は秘されていた『選択本願念仏集』も、幸いにして今なら本屋さんで買えるので、ぜひ手に取って読んでみたい。