自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【915冊目】五木寛之『親鸞』

親鸞 (上)

親鸞 (上)

親鸞 (下)

親鸞 (下)

末法の世と言われた中世の日本を舞台に、悩み、苦しみつつ成長するひとりの人間としての親鸞を生き生きと描く。面白く、やさしく、深く、真摯な小説。

8歳の少年忠範が「親鸞」となるまでの軌跡をたどる。比叡山にいったんは入山して当時の僧としての「エリートコース」を前にしつつも、山を降りて市井で教えを広める法然に帰依して自らも山を出て、悩みや苦しみにぶつかり、成長する親鸞。その姿を通して、読者はいつの間にか、法然親鸞の教えの奥深さに触れている。

仏教の使命とは何か、念仏のみによって救われるとはどういうことか、悪人であっても(あるいは悪人こそ)救われるとはどういうことか。知を捨てるとは、「選択(せんちゃく)」とは……。それはそのまま、『選択本願念仏集』や『嘆異抄』の思想の奥行きであり、深みである。一見逆説的で、難しい経典や研究書ではなかなか理解しがたい法然親鸞の教えが、小説の中に見事に組み込まれ、実例として目の前に迫ってくる。

そういうとずいぶん堅苦しい小説のようだが、まったくそんなことはない。エンタメとしても一級品で、特に登場人物に華がある。当時のアウトサイダーである「遊行の者たち」の強烈な魅力、悪の権化のような「黒面法師」の凄み、昼は召使いでありながら夜は博打場を開帳する「犬丸」とその妻の「サヨ」など、いずれも一癖も二癖もあるキャラクターばかり。実在の人物を扱った物語でここまでやっていいかしら、と心配になるほど、親鸞自身を含めて彼らが縦横無尽に末法の日本を暴れまわる。ちなみに個人的に印象に残ったのは、犬丸とサヨの夫婦であった。

しかし、もっとも魅力的だったのは、親鸞の師である法然の存在だ。今では、親鸞の放つ光があまりに強烈で、法然の存在は得てして忘れられやすいように思うのだが、本書を読むと、法然あってこその親鸞であったのだ、ということが如実に感じられる。当時は秘されていた『選択本願念仏集』も、幸いにして今なら本屋さんで買えるので、ぜひ手に取って読んでみたい。