自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【808冊目】シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

以前読んだ辻邦生の『フーシェ革命暦』は、本書を読んでから読むべきであった。

革命暦』はフランス革命の入り口までを若きフーシェの視点から描いたもので、フーシェ自身はただの「観察者」にとどまっていた。後年のフーシェの姿は時折暗示されるだけで、それだけに、彼の後半生がものすごく気になり、見つけたのがこの本。

本書はフーシェの生涯全体を視野におさめた一冊だ。そこに描かれた、変節と変転の一生はすさまじい。主義主張など毛ほども持たず、常に多数派や勝者の側につく。そのために絶対必要なのが「情報」。実際、フーシェほど「情報」の力を知り尽くし、使い尽した人間はめずらしいのではないか。しかも、単に受け身で情報を集めるというだけではなく、情報を操作し、他人を操ることにもたけている。マキャベリスト、という言葉があるが、フーシェほどその形容が似つかわしい人間はちょっと思い当たらない。

元々は僧籍をもつ教師であったフーシェは、フランス革命に身を投じて革命政府の一員となり、悪名高いリヨンの大虐殺を指導した。しかしその虐殺が非難されると、責任を同僚におっかぶせて自らは知らぬ顔。そして、ロベスピエールと対立してこれを葬り去り、バブーフを祭り上げるもののやはりこれを見捨て、かのナポレオンに見い出されて警察長官となる。この職こそ、フーシェの天職であった。

フーシェはそこで、下は貧民窟や街娼から、上はナポレオンの妻ジョゼフィーヌに至るまで、まさに国全体に諜報の網を張り巡らせた。その主人はナポレオンではなく、唯一フーシェ自身。それは実際、ナポレオンのためというよりもフーシェその人のための情報網であった。フランス中に張り巡らされた「情報」というクモの巣の主であることが、フーシェの力の源泉であった。

さらにフーシェはその後も、ナポレオンの失脚に加担し、混乱したフランスに王政復古をもたらし、国王ルイ18世のもとでふたたび臣下となった。まさにカメレオンのように、革命人民政府にも、独裁者の城塞にも、国王の宮廷にもその姿をあらわし、あらゆるイデオロギー、あらゆる政体のもとでフーシェはその力をふるった。共通するのは、常に多数派であり、支配者であること。その処世術のしたたかさ、忌み嫌われながらも必要とされる能力の高さには舌を巻くほかない。

実際、ある意味でフーシェほど「能力一本」で乱世を生き抜いた人間は、そうはいないだろう。確かにフーシェの一生は変節にまみれていた。しかしそれは、ある種「変節で一貫した」人生であったと言っても良いように思われる。