自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【803・804冊目】小林達雄『縄文の思考』、佐原真・小林達雄『世界史の中の縄文』

縄文の思考 (ちくま新書)

縄文の思考 (ちくま新書)

世界史のなかの縄文―対論

世界史のなかの縄文―対論

縄文と言えば小林達雄である。

考古学の方法が徹底しているのはもちろんだが、そこに「縄文人の世界観」を織り込んで解釈する手際が素晴らしい。凡庸な学者だと、現代の常識を知らず知らずのうちに縄文に当てはめてしまい、トンチンカンな解釈をしてしまうことが多いが、小林達雄に限ってはそういうことがない。だから、結果として彼の縄文観は非常に活き活きとしている。

例えば、『縄文の思考』の末尾近くに、人が住むには適さない山の頂上付近で縄文人の痕跡が発見されることが示されている。ある学者はこれを、縄文人が高い山の頂上に登って眺望をたのしんだものと推測するが、著者はこれを退ける。娯楽としての、あるいは「そこに山があるから」式の、挑戦としての山登りは現代人の思考である。

著者は山の形状に着目する。縄文人が登った山は優美な末広がりのシルエットをもつ三輪山型=神奈備型の山が多い。そうした山は、ふだん平地で暮らす縄文人にとって「仰ぎ見る存在」であり、「霊力を感じる存在」であった。それはストーンサークルや巨木柱列などが山の方位と関連付けて配置されていること、さらにそこに二至二分(夏至冬至春分秋分)の日の出・日の入りの方角が組み合わせられていることから推測できる。しかも、山頂に登るのに、縄文人は土器を携行していたとみられるのである。このことから著者は、縄文人の山登りは、山の霊力を感じ、交感するという、一種の山岳信仰の原型であると考える。そしてその信仰は、弥生人にも継承され、いわゆる修験道などとも結びついて、現代にも痕跡をのこす日本人の山岳信仰につながっている。そのことを著者は、考古学的な証拠だけではなく、諸外国の実例やアイヌの実例を持ち出すことで裏付けていく。

縄文人の生活は実利一辺倒ではなく、むしろ高度な精神的生活を営んでいた。その大きな要因は定住にあった。定住によって固定的な「家」が作られ、そこから「イエ意識」が形成された。また、移動と狩猟を繰り返す肉体的にハードな生活から一部にせよ解放されることで、精神的活動を営むゆとりが生まれた。また、老人たちが共に暮らすことができるようになり(非定住生活では、老人は事実上落伍し、天寿をまっとうすることは難しかった)、そこで知恵の伝承が可能になる。そのメリットは計り知れない。

煮炊きができるようになったのも大きい。有名な縄文式土器は主に煮炊きに使われたと推測されているが、そのことによって、多くの植物を食べることができるようになった。縄文人が農耕を行っていたという説に著者は反対するが、多種多様な植物の「栽培」を行っていたとはされている。それまでは、生で食べられる動物が食糧源であり、狩猟ですべてを賄わなければならなかったのだ。それが、火を通すことで植物を食べるようになり、栽培をするようになった。栽培は定住が条件である。どちらが先なのかはわからないが、こうした変化が、あの多様で独創的な縄文土器の出現に関係している。

ほかにも土器や土偶のこと、当時の生活ぶりなど、目を見張る指摘が満載。縄文こそ当時の世界のトップランナーであり、日本のルーツであることを再認識させられる。