自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【756冊目】大隅和雄『愚管抄を読む』

愚管抄を読む (講談社学術文庫)

愚管抄を読む (講談社学術文庫)

愚管抄』が書かれた鎌倉時代初頭は、まさしく歴史的な大転換期であった。政治の中心は京都から鎌倉に移り、貴族社会は武家社会にとってかわり、江戸時代まで続く武家政治の幕が開いた。その時期にあって歴史を書く、という行為そのものが、考えてみれば並大抵ではない。

しかも、それを書いた慈円という人は、比叡山天台座主。つまり当時の宗教界のトップであった。しかもその生まれたるや、ひところは栄華の絶頂をきわめた摂関家、藤原一族の流れを汲んでいるのだから、言ってみれば旧社会のスーパーエリート。ついでに言えば名だたる歌人でもあった。百人一首にも、「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖」が入っている。

ところが、面白いことに慈円自身は、むしろそうした境遇から脱したいと思っていた向きすらあるらしい。実際、遁世を望む気持ちを吐露していさめられ、大僧正になったといういきさつをもっている(僧という立場とはいえ、天台座主の地位は俗世そのものである)。さらに、自らのルーツである藤原一族が属する貴族社会は平安末期から鎌倉時代にかけて衰退の一途をたどっている。そのような境遇の慈円がつづった歴史の書である『愚管抄』は、単なる支配者側からみた歴史ではなく、かといっていわゆる「裏側から見た歴史」でもない、とても微妙な位置づけとなっている。そこには、国家と社会の大きな変転を比叡山という「離れ」から見守る、慈円という一人の人間の目が光っている。

では、慈円はこの激動をどう見たのか。まず、『愚管抄』は、単に同時代の記録ではなく、上代からの綿々たる歴史を綴ったものであることを忘れてはならない。ただ、その歴史をつづる視点はあくまで慈円にとっての「現在」にあり、言ってみれば、現在の状況を読み解くために歴史をたどっているところがある。

では、現在の地点から見た歴史の論理として、慈円は何をみたのか。まず、歴史の表側を動かしているものを慈円は「道理」と呼ぶ。もっとも、この「道理」は一般的な意味のものとはかなり違う。『愚管抄』における「道理」とは、歴史の流れに沿って変化していくものである。歴史の推移には「当然そうなるべき道理」があると言いつつ、その道理そのものが時代によって移り変わるというのであるから、これは言ってみれば無原則の原則であり、無限の現状追認にひとしい。

さらに、慈円は歴史そのものを2つに分けて考えた。それが「顕」の世界と「冥」の世界である。ここで「顕」とは、文字通り目に見える歴史の流れであり、事象である。これに対して「冥」の世界は、現実の歴史の背後にある「目には見えない何物か」であるとされる。そして、「冥」は4つに分けられる。一つ目は神々であり、とりわけ「天照大神」と「天児屋根命」である。二つ目は、「化身・権化の人」と呼ばれ、神々の意を呈してそれを実現しようとした人々4人が挙げられる。聖徳太子、大織冠(藤原鎌足)、菅原道真、慈恵大師良源がその4人。三つ目は、怨霊。四つ目は、天狗や狐狸などの魔物である。

この中で特に重要なのは、一つ目の「天照大神」と「天児屋根命」であろう。というのは、そもそも「定めなき道理」で動くこの世の中に、たったひとつ貫かれている原理原則、それがこの神々から続く天皇系譜なのである。天照大神は、記紀神話によって天皇のルーツとされ、『愚管抄』自体も冒頭に「皇帝年代記」を置いてその正統性を主張している。無原則の歴史における唯一絶対の原則が、この皇位継承のルーツなのである。

では、天照大神と並ぶ「天児屋根命」はいかなる神か。実はこの神は天照大神を補佐する存在であり、したがってその末裔も、やはり天照大神の末裔たる天皇を補佐する立場に任ぜられなければならない。そして、天児屋根命の末裔こそが、実は(慈円自身もその流れに属する)摂関藤原家なのである。これが、慈円歴史観のいわば根本原理であり、慈円自身が拠って立つところなのだ。

本書で解説されている『愚管抄』の内容はほかにも多岐にわたるが、その根本を貫くロジックは、おそらくここに書いた内容に尽きると思われる。日本が貴族社会から武家社会に大きく舵を切ったときに、このような書が編まれた意味は、なかなかに小さくはないように思うのだが、どうだろうか。