自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【700冊目】ナサニエル・フィルブリック『復讐する海』

復讐する海―捕鯨船エセックス号の悲劇

復讐する海―捕鯨船エセックス号の悲劇

本書の舞台は1820年。アメリカ東海岸の小さな島ナンタケットから出港した捕鯨船エセックス号は、太平洋の真ん中でマッコウクジラに攻撃され、乗組員20名は小さなボート3艘に命を預けて大海原をさまよう羽目に陥った。飢えと渇きの中で乗組員たちは次々と命を落とし、最後に残ったのは(無人島に残った3人を除き)わずか5人。本書は、そのすさまじいサバイバルの顛末を描いたノンフィクションである。

メルヴィルの『白鯨』は、本書の元となっている手記がネタ元だそうである。しかし、メルヴィルの小説が人と鯨の戦いを神話的な構図に換骨奪胎し、モービィ・ディックとエイハブ船長という極端な存在に収斂させたのに対し、本書はあくまで「狩り」としての捕鯨を現実に即して描く。

また、『白鯨』のクライマックスシーンで登場する「船を攻撃する鯨」は、本書の前半に早くもあらわれる。本書のメインはむしろ、破壊された船の乗組員たちが大海原の上で体験する「この世の地獄」にある。極限状況の飢え、渇き。死んだ仲間の肉を食べ、血をすすって生き延びざるをえない状況。そして、最後に2艘残った船のうちひとつでは、ついに「くじ引き」で犠牲者を決めて殺害し、その肉を食べるという想像を絶する地獄絵図に至ってしまう。

その意味では本書の核心は、『白鯨』よりも、野上弥生子の『海神丸』に引き継がれているというべきかもしれない。とにかく、この本はものすごい。人類がじっさいに体験したひとつの極限を描ききった、有数の傑作ノンフィクションである。

また、本書は前半部で、アメリカ(やイギリス)の捕鯨船が19世紀に何をしてきたかを教えてくれる。そもそも当時、捕鯨は鯨の頭部にある「鯨油」を採るために行われ、鯨を仕留めた乗組員たちはその頭部を切開して鯨油を抜き取ると、残りの巨体をそのまま海に投棄していたのである。そのため、捕鯨船は一回の航海で地球を半周し、大量の鯨を殺すことができた(「鯨が一匹獲れればひとつの村が1年間生活できる」ほど鯨を使い尽くした日本の捕鯨船とは「効率」が全然違うのだ)。

そのため、鯨は(北米大陸バッファローのように)乱獲されて数が激減し、米英の捕鯨船は鯨を求めて世界中の海をさまようことになってしまったのだ。捕鯨問題は単に「現在の」問題ではなく、こうした歴史的な経緯があって現在に至る問題であることを、少なくとも「捕鯨文化」をもつ日本人は知っておいてよいように思う。「復讐する海」というタイトルは邦題(原題は"In the Heart of the Sea")だが、訳者はこのエセックス号の事件に、当時のアメリカやイギリスが海に対して行った狼藉に対する「海の復讐」を感じたのだろうか。