【699冊目】于丹『荘子の心』
- 作者: 于丹,孔健,趙建勲,笠原祥士郎
- 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
- 発売日: 2008/06/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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表紙を見ると、著者の于丹氏は「中国人気NO.1教授」とある。う〜ん。この肩書きは…。しかも、訳者であって日本語版序文も書いている孔健氏は「孔子75代直系」の子孫とのこと。孔子の子孫が荘子? さらにわけわからん。
だいたい、荘子そのものを読んだことがないのにいきなりこういう「搦め手」から荘子にアプローチしようとする心構えが、われながらよろしくない。いや、今までは孔子ならまず『論語』、老子ならまず『老子(道徳経)』にぶつかってみて、その上で解説書にあたるようにしていたのだ。だが、毎回それでは芸がない、ということで、今回はちょっとやり方を変えてみたというわけ。
本書は、荘子の思想をベースに現代人の生き方を説くというもので、中国でベストセラーになったということを除けば、日本でもよくある「生き方指南」の本である。そのため、荘子の言葉の一言一句にこだわるというよりは、ほかにもさまざまなエピソードや教訓を織り交ぜた、著者なりの(しかし、かなり「荘子」的な)アドバイスをまとめた一冊となっている。
だから、内容のどこまでが荘子の言葉なのか、正確なところはよくわからないのだが、それでもその思想や言葉の断片には、いろいろと心に響くところがあった。「名」「利」にとらわれず、自然のままに生きて死ぬ。すべてのものはいずれ去りゆくのだから、一瞬一瞬を味わって生きる。口にするのは簡単だが、実行するのはおそろしく難しい。だが、その奥にしか自分の求める人生はないのだ、ということも感じる。やはりこれは、荘子の言葉そのものをもっとじっくり味わいたいものだ。
なお、これは荘子の言葉とはちょっとずれているような気がするが、本書でもっとも印象に残ったのは次の話。
高層ビルの80階に住む兄弟が、深夜、重いリュックサックを背負って帰ってきた。見るとエレベーターが止まっている。二人はがんばって階段を上るが、20階で重いリュックサックが負担になったので、その階に住む知り合いの家に預けて明日取りに来ると言う。重い荷をおろした二人は楽になって談笑しながら再び階段を上る。
40階のあたりで二人はまた疲れはじめ、エレベーター停止に気づかなかったことを互いに責め合い、口論しながら60階まで上る。言い争うのにも疲れた二人は最後の20階分を静かに上り、80階の我が家までたどりつく。しかし、そこで二人は気づくのだ。家のドアを開けるカギは、20階で預けてきたリュックサックの中に入っていたのだ……。
この話のポイントは、80階建ての高層ビルが、人生の80年になぞらえられているということだ。階段を上りはじめた最初の段階では、誰もが意欲と希望に満ちている。しかしそのうち、社会人となって社会の規則やしがらみに囲まれると、夢や希望を持ち続けることがしんどくなり、夢はいったん脇に置いても、まずは人並みの地位や名誉を手に入れることを目指す(そのため、夢や希望がぎっしり詰まったリュックサックをどこかに預けてしまう)。
夢をおろしてしまえば人生は楽になる。また前に向かって歩き始めることができるようになる。しかし、40代くらいになると周囲との争いごとや自分の境遇への不平不満が募り、不満と争いを抱えながら60歳くらいまでを生きる。60歳くらいになるとそうした争いより残された時間を大切にしたいと思うようになり、静かで平穏な余生を送ることを願う。
そして人生の終点といえる時期になると、誰もが愕然とする。この一生でもっとも貴重な人生の夢を、一度も開けることなく20代のころに置いてきてしまったことに気づくのだ。しかし、今更戻ることもできない。そうして人は、夢を自由に放つことも実現することもないまま、人生の旅をわびしく終えてしまう。こういう話である。