hachiroetoの読書ノート

この世の片隅でこっそり書き続けています。一応自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【684〜686冊目】辻邦生『安土往還記』『天草の雅歌』『嵯峨野明月記』

安土往還記 (新潮文庫)

安土往還記 (新潮文庫)

天草の雅歌 (新潮文庫 草 68F)

天草の雅歌 (新潮文庫 草 68F)

嵯峨野明月記 (中公文庫)

嵯峨野明月記 (中公文庫)

安土桃山〜江戸時代初期が舞台の「三部作」。もっとも、内容はまったく別々なので、続けて読む必要は全然ない。

『安土往還記』は、キリスト教宣教師と共に日本を訪れたイタリア人船員の目から信長を描く。織田信長について、日本人なら誰でも知っているが、その人物像や功績を日本史の枠組の中で把握し評価することは、実はとても難しい。著者は外国人の視点を導入し、日本という枠の外に視座を置くことで、独自の信長像を作り上げている。少し引用する。

「彼はただ非情になることによって、人間に、なにごとかをもたらすという困難な道を選んだのだ。そして彼がこの道に踏みこめば踏みこむほど、周囲の人々は彼の非情を理解しなくなった。…(略)…私は多くの日本人に会ったが、大殿(信長)ほど「事の成る」ことをもって、至上の善と考えた人物を見たことがない。…(略)…私は彼の中に単なる武将を見るのでもない。優れた政治家を見るのでもない。私が彼のなかにみるのは、自分の選んだ仕事において、完璧さの極限に達しようとする意志である。私はただこの素晴らしい意志をのみ―この虚空のなかに、ただ疾駆しつつ発光する流星のように、ひたすら虚無をつきぬけようとするこの素晴らしい意志をのみ―私はあえて人間の価値と呼びたい。」

語り手が信長をこのように見た理由は、そもそも信長の「事を成す」ことへの徹底した意志と、布教のためヨーロッパからはるばる海を渡って日本にやってきたキリスト教宣教師たちの意志が、きわめて似通っていたためであった。信長はキリスト者ではなかったが、日本の統治者の中ではほとんど唯一キリスト教を擁護し、その布教をゆるした。それは信長自身が、おのれのもつ(他の人間がほとんど持ち合わせていない)メンタリティと、宣教師たちのそれがどこか相通ずると感じたためかもしれない。

こうして布教に励んだ宣教師たちによってキリスト教徒となった日本人たちの「末路」を描いたのが、じつは次の『天草の雅歌』である。江戸初期の長崎を舞台に、通辞(通訳・翻訳者)かつ有能な役人であった上田与志が、キリシタン弾圧の嵐と鎖国−海外交易をめぐる争いに巻き込まれ、果ては自害するまでを描く。総じて男臭い辻邦生の小説のなかにあって、本書はハーフの美女コルネリアとのロマンスがこってりと描かれ、悲劇のラブロマンス小説となっている。

しかし、読んでいて読み応えがあったのはむしろ、長崎という国際交易の最前線を舞台とした、鎖国派対海外交易派のすさまじい暗闘。キリシタン弾圧と鎖国は同時に行われたと思っていたが、実はその間にたいへんな争いがあったことが分かる。結局日本は鎖国を選ぶわけだが、果たしてそれは正しい判断だったのか、という著者の強い疑問が伝わってくる。これもまた、ちょっと引用。

「…(外国との交易をとりやめた場合)そうなれば、私たちは世界のなかで物を考えたり感じたりできなくなってしまう。よかれ悪しかれ日本のことだけしかわからなくなり、盲目となり、井のなかの蛙となり、傲慢になり、無知になる。私はそのことをおそれる。異国交易というのはたしかに物品の流通だ。しかしそれ以上に、知識や感じ方や考え方の相違を教え、私たちを狭隘な独善から救い出してくれる。…」

果たして江戸初期の人間にこのような思考ができるのかやや疑問ではあるが、ここはあえて著者の主張として受け止めておきたい。

『嵯峨野明月記』はちょっと時代が戻る。安土桃山時代、戦乱に次ぐ戦乱の世を背景に、名本「嵯峨野明月記」を完成させた3人の、それぞれの独白を交互に並べたスタイル。

いきなり「一の声」とはじまって、何の説明もなく、語り手が誰なのかもわからないまま、ひたすら独白が続く。ひとつひとつの独白がものすごく長く、しかも改行いっさいなし。しばらくすると「二の声」とあり、また別の人物の独白がずーっと続く。はっきり言って、最初はものすごくとっつきづらい。

ところが読み進めるうちに止まらなくなる。ものすごく面白い。3人の幼少期からはじまって、それぞれの人生の道で芸術に出会い、開眼し、修行を積み、「嵯峨野明月記」という傑作の作成においてはじめて交錯するまでのプロセスを、信長、光秀、秀吉と続く激動の世の中を縦糸に、書や画の世界の底知れぬ奥深さを横糸に、決して読み手を飽きさせない語り口調のまま文庫本で400ページ以上を一気に読ませる。

ちなみに「一の声」は本阿弥光悦、「二の声」は俵谷宗達。いずれも書画の道をそれぞれに極めた達人である。一方、「三の声」は、開版者であり嵯峨野明月記の企画とコーディネートを担った角倉与一。この人のことは全然知らなかったが、読んでいて一番感情移入できたのはこの「三の声」の主であった。俗世を離れて芸術の世界に没頭できる光悦や宗達に対し、かれは学問や芸術の世界に没入したいと願いつつ、現世の仕事に忙殺され、翻弄される。日々の雑務に追われるうちに、人生の時間が刻々と過ぎていく。「確かなものが欲しいのです。この両手でつかめるような確かなものが―」という与一の悲痛な叫びが胸に響いた。わが漫然たる人生に、はたして「確かなもの」など得られるのであろうか。