自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【615冊目】『日本の未来をつくる 地方分権のグランドデザイン』

日本の未来をつくる―地方分権のグランドデザイン

日本の未来をつくる―地方分権のグランドデザイン

道州制ではなく、徹底した地方分権を実現した「完全自治州」をベースに、現代日本の抜本的な改革プランを提示した一冊である。編著者となっているのは「NPO法人 日本の未来をつくる会」。日本のグランドデザインをいっこうに描けない国に対して、「そうであれば民間から発信するほかない」とする序文が気概を感じさせる。

州の区割りは「同質性を保ちながら、その中にも多様性を確保する」という観点から考える。この「同質性+多様性」という視点が面白い。具体的には、日本列島を「輪切り」にするように区割りを考えていく。北海州(現北海道)、東北州、関東州、中京州、関西州、中国・四国州(三海州という名称も挙げられており、個人的にはこちらのほうが好き)、九州州(州州、というのはちょっと気になるが)、沖縄州、東京特別市である。特徴は、ほとんどの州が太平洋側から日本海側までを含んでいること。「多様性」の視点がここに生きている。

内政に関する権能は基本的にすべて州に移管する。全国的に統一を図るべき点(たとえば国語の統一)等は、「全州協議会」を設置してそこで決定する。現在の地方交付税のような財政再分配機能もこの全州協議会で決定する。国は外交や防衛など、純粋な国の専管事項に特化する。

ほかにもいろいろあるが、要するに、日本をドイツやアメリカ型の連邦国家に変えるという構想である。したがって、現行の中央集権型国家から180度の転換であり、相当ラディカルな変革案となっている。逆に言えば、それほどの荒療治をしなければどうにもならないくらい、現代日本の中央集権型、官僚主導型の政治・行政システムは破綻しているということである。

こうした構想を理論面で強力に支えているのが、寄稿者となっている猪瀬直樹神野直彦両氏の論陣である。猪瀬氏は明治維新以来の日本の歴史を振り返りつつ、その中でどのように現在のような官僚依存の政治システムが生まれ、定着してきたのかを説き、神野氏は財政学の知見からグローバル化した世界における国民国家体制の無力さを暴き、むしろ「グローカリゼーション」の地方分散型統治システムに光明を見出す。この両論文、いずれも非常にコンパクトだが内容はきわめて濃密であり、これだけでそれぞれ一冊の本に匹敵する。

本書で挙げられている「完全自治州」の構想はとても面白く、また案外に実現性が高いように思う。そもそも、明治維新以前の日本は長きにわたって「藩」をユニットとした地方分権国家だったのであり、その歴史の長さに比べれば、中央集権型国家となってからの年月ははるかに短い。しかも、そのシステムはその当初にいくつかの「つまづき」(例えば犬養首相暗殺で政党政治の芽が摘まれてしまい、官僚の事実上の権力独占が起きたこと)を体験しており、その結果は、もはや単なる手直しでは修復できないところまできているように思われる。

地方の現場から見ていても、霞が関の現場に対するおそろしいほどの無知、政策の貧困さ、省益あって国益なしと揶揄されるほどの国家的使命感のなさは目に余るものがある。国家官僚はもはや官僚としての体をなしていないとしかいいようがない。地方公務員だってそれほど立派なもんじゃないが、少なくとも、夕張市をはるかに上回るあれほどの財政赤字を垂れ流しておいていまだにくだらない補助金つきの政策とやらを地方におしつけるような厚顔無恥さは持ち合わせていない。

筆がおおいに滑ったので元に戻すが、そういうわけでこの「完全自治州制」をベースにした本書のグランドデザイン、なかなか惹かれるものがある。少なくとも夢や希望を感じさせてくれるプランである。ただ、問題は誰がこのプランを実現し、誰が国家官僚(と族議員)の首に鈴をつけるか。その点については本書では触れられていないが、そもそもこれまでにもすぐれた国家改革プランが次々と闇に葬られてきたのは、その実現には、それによって自らの首が絞まる官僚連中の手助けが不可欠であるというどうしようもない構造的問題があるためではなかったのか。