hachiroetoのものぐさ遊読帖

自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【537冊目】手塚治虫「奇子」

奇子 (上) (角川文庫)

奇子 (上) (角川文庫)

奇子 (下) (角川文庫)

奇子 (下) (角川文庫)

舞台は戦後間もない昭和24年に幕を開ける。4歳の奇子は地方の素封家、天外家に生まれる。しかも家長がその息子の嫁に産ませた子どもである。ここにすでに、本書のテーマのひとつである、地方の大家族における家族の闇が示される。しかも、奇子は復員した次男、仁郎が夜中にこっそり血のついた服を洗っているところを目撃してしまう。仁郎はGHQの工作員であり、ある共産主義者の殺害に手を貸していたのである。仁郎の秘密がばれると天外家に傷がつく。天外家を守るため、奇子は土蔵の地下に閉じ込められてしまう。

天外家をめぐる闇はそれだけではない。近親相姦、家族殺しなど、横溝正史の小説を思わせるようなおぞましい秘密のオンパレードである。そういえば横溝正史がよく描いたのも地方の旧家をめぐる暗部であった。さらに、家族の闇を横軸とすれば、手塚治虫が縦軸として配したのは、下山事件三鷹事件等の苛烈な共産主義者弾圧、戦争特需を背景に生まれた日本の裏社会など、戦後社会の闇である。そして、「奇子」という「無為の中心」を置くことで、20年以上にわたる時間軸で、その両方を存分に描ききってみせたのである。その力量とスケールには、今読み直すと改めて驚かされる。匹敵するのは、ドストエフスキートルストイトーマス・マンあたりであろうか。日本の作家で、ここまでの広がりと深みを表現した人を私は寡聞にして知らない。