自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【473冊目】稲垣足穂「一千一秒物語」

一千一秒物語 (新潮文庫)

一千一秒物語 (新潮文庫)

表題作のほか「黄漠奇聞」「チョコレット」「天体嗜好症」「星を売る店」「弥勒」「彼等」「美のはかなさ」「A感覚とV感覚」を収める。

中でもピカイチは「一千一秒物語」。これはごく短い断章が並んでいるのだが、たとえば最初の「月から出た人」はこんなふうに始まる。

夜景画の黄いろい窓からもれるギターを聞いていると 時計のネジがとける音がして 向うからキネオラマの大きなお月様が昇り出した

もう一発で魅了され、引き込まれた。なにしろ「黄いろい」「時計のネジがとける音」「キネオラマ」「お月様」である。極上のワーディング、極上の感覚。こんな文章が全編にわたって続き、お月様やホーキぼし、ボール紙の黒猫などが自由自在に世界を飛び回り、裏返す。天体が出てくるところや独特の語感は最初、宮沢賢治の詩にどこか通じるかな、と思ったが、賢治の世界観が同じ物質的といっても鉱物的で、すなわち岩手の雄大な自然に根ざしているのに対して、足穂の世界はブリキやボール紙など都会的でどこかまがいものめいた薄さと軽さをもっている。その分、足穂のほうがスピード感と無機的な世界観を感じた。何度読み返しても味わいのある、最高の文章。では、短いものをもうひとつ。後はぜひ直接読んで、無上のタルホワールドを味わってほしい。

昨夜 メトロポリタンの前で電車からとび下りたはずみに 自分を落してしまった

ムーヴィのビラのまえでタバコに火をつけたのも−かどを曲ってきた電車にとび乗ったのも−窓からキラキラした灯と群集を見たのも−むかい側に腰かけていたレディの香水の匂いも みんなハッキリ頭に残っているのだが 電車を飛び下りて気がつくと 自分がいなくなっていた

他のものの中では、寓話めいた「黄漠奇聞」や、一千一秒物語とどこか似通ったトーンをもつ「星を売る店」、難解だがどこか魅力的な論考「美のはかなさ」、そして「A感覚とV感覚」が印象的だった。ちなみに「A感覚とV感覚」については・・・・・・まあ、読んでいただくほかはない。一言だけ言えば、「A」はアナル、「V」はヴァギナで、V感覚はA感覚から派生したものにすぎないそうである。