【406冊目】松尾芭蕉「芭蕉紀行文集」
- 作者: 松尾芭蕉,中村俊定
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1971/11/16
- メディア: 文庫
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「野ざらし紀行」「鹿島詣」「笈の小文」「更科紀行」「嵯峨日記」を収める。最後の「佐賀日記」以外は紀行文、つまり旅日記。いずれも旅の過程で感じたことを句に捉え、表現していることで共通しており、いずれも「おくのほそ道」のルーツといえる。
中でもやはり出色の出来といえるのが「野ざらし紀行」であった。この「野ざらし」とは、行き倒れて野に晒された白骨(しゃれこうべ)をいうらしく、旅の途中で命を失ってもかまわないと言う決意なのかとも思えるが、実際にはそれほどの深刻さは紀行文自体からは感じられない。むしろこれは一種の諧謔、自分を突き放して眺めることによるユーモアと読むべきであろう。
なお、この「野ざらし紀行」の「野ざらし」は、有名な「野ざらしを心に風のしむ身哉」という句に由来すると思われるが、この句をトップバッターに、とにかく詠まれている俳句が他の紀行文に比べてダントツに良いように思う。「道のべの木槿は馬にくはれけり」「わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく」「明けぼのやしら魚しろきこと一寸」「馬をさへながむる雪の朝かな」「水とりや氷の僧の沓の音」「山路来て何やらゆかしすみれ草」等等、歴史に残る名句のオンパレードである。それも、紀行文全体の中にこれが置かれることで、単なる情景を超えた旅情、旅愁のようなものさえ浮かび上がってくる。
芭蕉の句は相当の推敲を重ねられているというが、できあがったものだけを見ると、そこには一切の技巧というものが感じられない。いや、技巧そのものは卓越したものがあるのだが、それを読み手に見せないのである。超一流のカメラマンの写真が、ただそこにある情景を切り取っただけに見えるように、芭蕉の句はただそこにある「何か」を5・7・5で切り取り、ぽんと置いただけに見える。しかし、よく考えてみるとそこに切り取られているものは、われわれが漠然と感じることはあっても、言葉では切り取ることができない類の「何か」なのだと思う。それを人は「わび」とか「さび」と言うのかもしれない。